ルカ16章にはこの世の富に関するたとえ話が集められています。年間第25~26主日にはこの16章が2回にわたり朗読されるのです。さて、今日はその1つ目のたとえ話を取り上げてみましょう。「不正な管理人の賢いやり方」というたとえです。
これは、ある意味ではわかりにくいたとえ話と言われています。一見すると、財産管理の仕事をやめさせられるかも知れないと怖れた管理人がこれからの生活のためにとった手段が、不正なやり方のように思えてしまうからです。しかし、彼が負債のある人々を呼び出して、その負債を軽減してあげたというのは不正なやり方ではないのです。当時、財産の管理人は、主人から預かった財産を運用し、主人のためと自分の手数料(儲け分)を稼いでいたのです。従って、この管理人が軽減してあげた分は自分の手数料ということなのです。たとえ話ですからわかりやすくするために「油100バトスを50バトスに」、「小麦100コロスを80コロスに」となっていますが、この軽減分はいずれの場合も当時の500デナリに相当する価値があります。
この「不正な管理人の賢いやり方」のポイントは、彼の次の生活や仕事のために考えたこの方法にあります。彼は自分でも言っているように「力仕事はできない」ことを知っていました。では商売はどうでしょう? しかし、「管理の仕事をやめさせられた無能な人」といううわさが広まれば、多少の元手があったとしても、信用第一の商売において顧客がつかず、そうなれば、やがて商売も不調となって、物乞いになってしまうことでしょう。そこで、彼がとった手段とは、自分の財布に500デナリを残しておくのではなく、相手の財布の中に入れてあげるということでした。それによって彼が得たものは、使ってなくなってしまう500デナリではなく、彼の評判であり、相手の人々からの忘れられることのない感謝と信頼と友情です。つまり、これからもずっと彼の味方となってくれる人々の心を得たということなのです。ユダヤ人社会では恩義を受けた場合、それを何倍にもして返すという慣習・伝統がありました。彼は冷静に自分の実力を見極めた上で、本当に必要なものをこの世の富を用いて手に入れたのです。それゆえ、彼の主人は彼のやり方を賢いと誉めたのです。
このたとえ話の主人公のように、私たちも与えられている時間、チャンスを生かさなければ、道が開かれないのです。信仰には「鳩のような素直さとへびのような賢さ」が必要なのです。私たちの信仰は、よい時だけでなく、つらい時にもこれを乗り越える強さが求められているのです。
【祈り・わかちあいのヒント】
*あなたの信仰に「あきらめない」という要素が充分ありますか?