「目を覚まして用意していなさい」
いよいよ、クリスマスに向けての準備の期間である待降節が始まります。そして、典礼暦年もA年となり、マタイ福音書が中心となって朗読配分が作成されます。待降節のテーマは「希望と信頼をもって主の訪れを待ち望む」です。主イエスの第1の来臨は、2000年前のイスラエルに実際に起こった出来事ですが、世の救いの完成の時に再びイエスは来られるのです。それゆえ、待降節第1主日の福音は、「人の子が再び来る時」について語られるのです。
「人の子が来る時はノアの時と同じである」と主イエスは警告されています。人間のおろかさの一つは「今、あることしか見ようとしない」ところにあります。「洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった」ように、私たちは、「いやなこと、めんどうなこと」は後回しにしたり、目をつぶってそれがないことのように自分をごまかそうとする傾向があります。弟子たちですら、何度もイエス様が「十字架にかかって死ななければならない」ということを話しても、受け入れることが出来ませんでした。「まさか、そんなことがおこるはずがない」と弟子たちはありのままを受け入れず、「きっとイエス様は私たちに大きな困難があるかもしれないが、がんばれと言っているのだろう」と解釈していたのかもしれません。
「目を覚ましていなさい」と繰り返しイエス様は警告されています。そして用意していなさいとも呼びかけています。私たちが目覚め、また用意しなければならないことは地震や災害に対してのような食料や保険ではありません。それは「主に対する信頼と希望」の心です。誰でも「世の終わり」や「自分の生命の終わる時」を考えることは怖いことです。それゆえ、「主に対する信頼と希望」、すなわち、「世の終わり」を「世の救いの完成の時」、「自分の生命の終わる時」を「新しい生命の門をくぐる時」として受けとめる心を持つことが大切なのです。やるべきことをやっている人には後悔がありません。「やるべきことをまだしていない」人は、未練が残ってしまいます。今日という1日、今月というひと月、今年という1年を一生懸命生きる人には「これでよし、あとは神様にまかせよう」という安心感が生まれると思います。
心を新たに、幼子の姿でやって来られるイエス様とともに新しい1年を歩み始めようという決意をもって待降節を始めるようにというメッセージが、今日の福音ではないでしょうか?
【祈り・わかちあいのヒント】
*今日1日をどのような心構えで生きようと思いますか?