今日の福音朗読はルカ10章です。ここには72人の弟子の派遣が述べられています。面白いことに、このすぐ前の9章にも12人の派遣が述べられています。これはルカ福音書の特徴です。他のマタイやマルコには12人の弟子たち(使徒たち)の派遣が教育実習のように述べられていますが、ルカでは、12人に続いて72人の弟子たちの派遣がすぐ後に繰り返し述べられているのです。
ここには、ルカ福音書が異邦人キリスト者のために書かれたものであるという性格が表われているのかもしれません。ルカ福音書が記された時代には、キリストの教えがイスラエルの人々に限定されるものではないことが、すでにいろいろな教会共同体の誕生により、実感できるものとなっていたのです。72という数字は12×6=72すなわち新しい神の民×月~土(6日間)の努力の上に神様が祝福を与え、日曜日に集うということと考えることができます。こうして、新しい神の民に加わる人々が全世界規模で広がって行くために、「働き手」となることが呼びかけられているのです。
12人の場合も、72人の場合も、共通しているのは「何も持たずに行きなさい」という点です。これは、宣教とはどこか遠い場所へ出かけて行くことだけではなく、むしろ私たちの日常生活の場こそ、宣教の場であることを示していると思います。私たちは信徒で司祭やシスターのように外国に宣教には行けない、と宣教を限定して考えてしまいがちな私たちに、福音書の記事は、生活=宣教ということを教えています。ルカは特に使徒行録の中では、宣教=証しということばを使います。宣教と言うとことばや理論的な説明と理解しがちですが、ルカはもっと「行ない」を重視していると言えます。
「子どもの使徒職」ということばを聞いたことがありますか? もっとも身近な人々への宣教こそ、私たちキリスト者の優先課題です。子どもに信仰を伝えることは両親の第1の義務になります。その子どもにも使徒職があると、ある人々は言います。子どもの使徒職とは「なぜ」と問い掛けることなのです。この子どもたちの「なぜ」ということにちゃんと向かい合うことが大切なのです。「育児とは育自である」と言った人もあるくらい、子どもを育てるには親自身もともに学ぶことが必要なのです。幼い子どもになぜということを理論として説明しても、子どもはわかりません。その説明された事柄も覚えてはいないこともしばしばです。でもその子も自分に向かい合ってくれた実感は覚えているのです。その思い出が大切なのです。親の顔の中に神様の顔が見えるのです。
【祈り・わかちあいのヒント】
*神様があなたに期待している「使徒職」は何でしょうか?