復活祭から40日後、主の昇天の祝日を祝います(日本では復活節第7主日に昇天を祝います。)私たちが親しんでいる昇天のイメージは、ルカ福音書が記すように手を上げて弟子たちを祝福しながら天に昇られる姿です。今年の主の昇天においてはルカ福音書の最後の部分が朗読されます。この福音書において強調されているのは、イエスの復活と昇天の神秘が、教会の宣教活動の開始となる聖霊降臨と深いつながりがあるということに直接ふれていることです。 - イエスの復活と昇天が弟子たちを使徒へと変える⇒イエスの与えた使命が弟子たちを変える⇒イエスの使命を受け継ぐ弟子たちが使徒たちへと成長し、全世界へ派遣されるのです。その第一歩としてイエスは約束されたもの(聖霊)を待ちなさいと命じるのです。使徒たちの宣教の第一歩が「祈りながら聖霊を待つこと」であったことは印象的です。
- ルカ福音書・使徒行録において、宣教は「証し・証人となること」という表現が多用されています。証人とは自分の考え出した理論を語ることではなく、自分の体験したことを語ることです。これは今日の私たちの宣教についても大切なことです。
- ルカ福音書の語るイエスの昇天は、あたかもイエスがこの地上から離れ去ってゆき、もう目には見えない遠い、高い天空に行ってしまったように思えるかもしれません。しかし、「天」(ヘブライ語でハッシャマイーム)は、「高い」「遠い」という意味合いだけでなく、私たちが地上のどこにいても必ず「私たち」とともにあるものという意味合いがあることを忘れてはなりません。
- オリーブ山でイエスを見送った弟子たちは神殿に集まり、絶えず神を賛美していたとルカは記しています。ルカ福音書は、神殿の祭司ザカリアに天使ガブリエルが洗礼者ヨハネの誕生を告げる物語から始まり、弟子たちが神殿で神を賛美する姿で終わっているのです。
- 弟子たちのなすべきことは直ちに行動を開始することではなく、祈り、賛美し、そしてイエス様が送られる聖霊を待つことでした。祈りなしには宣教は不可能です。イエス様ご自身の生涯もその宣教活動においても、祈りすなわち御父との対話、交わりがあったからこそ、「私の思いのままではなく、あなたのみ旨が実現しますように」ということを行なうことが出来たのです。この姿勢は私たちの今日の教会活動についても同じことが言えるのです。
【祈り・わかちあいのヒント】
*イエス様の昇天は復活の出現があらゆる時代に続くことを暗示しているのではないでしょうか? あなたはともにおられるイエス様と話していますか?