2025年2月9日
年間第5主日 ルカ5:1~11

 イエスさまは宣教活動の初期から弟子たちを集められました。今日は最初の弟子たち、すなわち、ペトロ、アンドレア、ヤコブ、ヨハネの4人が呼ばれた時の出来事が語られます。イエスさまは何故、漁師たちをご自分の弟子にされたのでしょうか? 漁師たちは、陸地にいて安定した仕事をする人たちではありません。自然という、人間の努力だけではどうにもならない世界で生きている人たちです。ガリラヤ湖(ルカ福音書ではゲネサレト湖)という小さな湖ですら時には嵐で沈みそうになったり、一晩中働いても1匹の魚もとれなかったり、彼らの努力だけでは成り立たない仕事です。それゆえ、ペトロたちは、陸地にいて安定した商売や仕事をしている人たちよりも神様の恵み、神様への信頼を強く意識していたのではないでしょうか? 「お言葉ですから、もう一度、網をおろしてみましょう」このペトロの言葉は、ルカ福音書における弟子たちの最初の言葉です。人間の目から見れば可能性のないことでも、キリストの言葉なのだからもう一度信じてみよう、やってみようという素直さとけなげさ、信頼の厚さこそが、イエスさまを信じるすべての人に必要な姿勢なのです。そして神様も、何度でも、回心の見込みの少ない人間たちに対してもあきらめずに救いの網に入るようにと働きかけて下さるのです。それゆえ、キリストの弟子たちに絶望とか、あきらめという言葉はないのです。

 今日は召命の3つの要素についてお話ししましょう。

キリストが望み、その人を呼ばれる
ある人が司祭、修道者に呼ばれる時、それは決して自分の望みとして司祭や修道者になりたいのではありません。そのような望みを感じた時、その人自身は「まさか、どうして私はそんなことを考えるのだろう。私はこんなに不完全で弱い、これは思い違いだろう」とかえって戸惑いを感じるのです。
もしあなたのお望みでしたら、み言葉の通り、この身になりますように
しかし、何度否定してもそれが繰り返し強くなって、「これはもしかして! キリストが呼んでいるのでは?」と思い当たる時が来るのです。それを内的なしるしと呼びます。その内的なしるしはSine Causaとラテン語で言われるように、自分自身の中には思い当たるふしがないのに、キリストの呼びかけを感じることであり、また、それがキリストのお望みなら無条件に従いたい、という全人格をあずけての「はい」が必要なのです。
共同体の確認
キリストの呼びかけと本人の「はい」は内的なものです。神学校や修道院の扉を叩いてからの長い修練や養成課程の中で、それが本物かどうか、共同体が見極めてゆくのです。
【祈り・わかちあいのヒント】
*誰もが一度は司祭や修道者になることを考えると言われますが、あなたは?