2024年12月1日
待降節第1主日 ルカ21:25~28、34~36

「心が鈍くならないように注意しなさい」

 今日から主の降誕を迎える準備の時である待降節が始まります。待降節は二重の特徴をもっています。それは、まず神の子の第一の来臨を追憶する降誕の祝祭のための準備の期間という意味です。そして、さらにその追憶を通して終末におけるキリストの第二の来臨の待望へと心を向ける期間でもあります。この2つの理由から待降節は愛と喜びに包まれた待望の時であることが明らかになるのです。

 待降節のこのような性格は、4つの主日の朗読箇所にも反映しています。

待降節第1主日
ルカ21:25~28,34~36 エルサレムの滅亡と終末
「目覚めて時を待つ」
「喜びをもって時を待つ」
待降節第2主日
ルカ3:1~6 洗礼者ヨハネの宣教 Ⅰ
「主の道を備えよ」
待降節第3主日
ルカ3:10~18 洗礼者ヨハネの宣教 Ⅱ
「それでは私たちは何をしたらよいのでしょうか?」
待降節第4主日
ルカ1:39~45 マリアのエリザベット訪問
「主の御母が私を訪れて下さるとは何という栄光でしょう」
 待降節第1主日の朗読は、エルサレムの包囲(20~24節)のすぐあとに続く箇所です。エルサレムの滅亡が、人の子の来臨の1つの段階であったのは、教会が万民に門を開き、1つの民族、血族、神殿を超える宣教と礼拝を始めたからであり、それゆえ「恐れずに、頭を上げ、解放が近づいた」ことを喜ぶのです。

 ルカがこのようにエルサレムの滅亡をキリスト教の新しい始まりとして、つまり全世界への宣教への出発と理解していることは大切なことです。当時の教会には、ユダヤ人こそキリストの教会において主流を占めるものであり、律法を知らない異邦人からの改宗者を軽視するという「会堂の誘惑」がありました。これを私たち現代の教会に当てはめてみると、長い信仰生活を送っている人たちに対する警告となります。いつのまにか自分たちのやり方が最高と思い込み、新しい人々や新しい試みを排除しようとする傾向が見られるのです。
「新しい酒は新しい革袋に」というキリストの警告を忘れずに待降節を過ごしましょう!

【祈り・わかちあいのヒント】
*エルサレムの神殿さえも滅びました。私たちの信仰は、建物としての教会ではなく、イエス様という、生きているお方の中に成り立っていることを信じますか?