「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」
今日の主日にはマルコ福音書の10章に記されているエリコでの奇跡のエピソードが朗読されます。エリコはヨシュア記2~6章に記されているように、イスラエルの先祖たちがヨルダン川を渡り、約束の地に入り最初に得た町です。昔も今も交通の要衝の地でした。ヨルダン川にそって南北に移動する人々がここからエルサレムへと方向を変えていく、大きな交差点のような町でした。そして、この町ではイエス様と収税人の頭ザアカイの出会い、イエス様と盲人バルテマイの出会いがあり、イエス様に出会ったこの2人の人物はこれまでの人生とこれからの人生が大きく変わるのです。2人ともなかなかイエス様に近づくことができません。それでもあきらめずにバルテマイは叫び声を上げ、民衆に叱られてもなりふり構わず求め続けます。ザアカイもまた民衆に笑われても木によじ登ってイエス様の姿を捜し求め続けます。やがてイエス様の方から声をかけて下さいます。
バルテマイは上着を脱ぎ捨てて、イエス様のところに近づいてきます。この当時の物乞いは上着に大きなポケットのような袋を縫いつけており、喜捨物やお金を戴いていました。この上着を脱ぎ捨てるという行為はバルテマイがすでに「自分の目をイエス様に癒していただける」という確信を持っていたことを表わしていると思います。イエス様は信仰をもって自分を求める人を決してお見捨てにならないことを、バルテマイはエリコを通り過ぎる人々の話から感じ取っていたのです。エリコの住民たちもイエス様のうわさは聞いていましたが、バルテマイのような信仰の確信はもっていませんでした。だから初めはバルテマイを叱りつけ、黙らせようとしていたのです。ところがイエス様の「その人をつれて来なさい」という一言によって、エリコの住民の心が変わります。
原語では「タルーセイ」(ギリシャ語:元気を出しなさい。よかったね。さあ今こそ……というような励ましの言葉)と記されています。エリコの住民の閉ざされていた心がイエス様の一言で変わったのです。これこそが奇跡ではないでしょうか? バルテマイの目が見えるようになることも奇跡ですが、人々の心が一言でバルテマイに対するやさしさや共感、励ましへと変わったのです。目が見えるようになったバルテマイはイエス様の後に従って歩みだしました。イエス様のもう一つの名は「人生をともに歩む師であり、友であるお方」なのです。
【祈り・わかちあいのヒント】
*わたしたちはバルテマイよりもイエス様について知っていることは多いのではないでしょうか? それなら彼以上にイエス様に近づくはずでは?