四旬節の第3主日から3週連続で主日の福音はヨハネ福音書から朗読されています。さて、今日の箇所には新約聖書の中でも特に有名なことばが登場します。「一粒の麦が地に落ちて死ねば多くの実を結ぶ」という、イエス様の受難の意味を端的にかつ象徴的に示すこのことばは、今日も多くの人々に感動を与えています。イエス様がそのことを語られるきっかけは、アンデレとフィリポを通してギリシア人たちがイエス様にお目にかかりたいと申し出たことでした。これこそ、新しい契約の特徴を示すもので、アブラハムの子孫であることを超えて、さらにモーセの律法の枠を超えて、すべての人々が新たなる神の民になるために新しい契約が打ちたてられる時が来たことを意味するのです。 それゆえ、人の子は上げられなければならず、しかし人の子はそのために来たとイエス様は宣言されるのです。ヨハネ福音書の中でイエス様が神を父と呼ばれる箇所は、先々週の神殿の清めの際に「父の家」と呼ばれたこと、ラザロのよみがえりの際、墓の前での祈りの時、そしてこの12章における一粒の麦について語られた時、最後の晩餐での祈り(17章全体はイエスの大祭司的祈り)と、すべてが十字架上の死と復活につながっているのです。 今日朗読されたヨハネ福音書の12章は、1~12章の「しるしの書」と13章から始まる「栄光の書」の橋渡しをしている箇所です。13章から17章までなんと5つの章を費やして、あの「最後の晩餐」の出来事、そこで語られたイエス様の教え、祈り、対話が詳細に緻密に語られているのです。イエス様の地上における最後の時間に、イエス様の教えの集大成が語られるあの「晩餐」がまもなく始まるのです。その晩餐の中で、今日の第1朗読でエレミヤが語ったように新しい契約には「新しい掟」が与えられるのです。それは新約における唯一の掟であり、愛の掟であり、「イエス様が愛された愛し方で互いに愛し合うこと」が求められるのです。新しい契約、新しい掟を成就するためにイエス様は愛する者のために命を捧げようとしておられるのです。 わたしたちは「主の祈り」を基盤として主イエスとともに祈りを捧げ、「信仰宣言」を土台として使徒たち、仲間たちとともに信仰生活を送り、「愛の掟」を規範とした生き方で人生を歩むことを目指しているのです。イエス様は、わたしたちの心の中に一粒の麦として、芽を出し、根をおろし、葉を広げ、実を結ぼうとして、ご自分をわたしたちに与えようとするのです。 【祈り・わかちあいのヒント】 *あなたはイエス様という一粒の麦を受け入れていますか、それとも?