2024年2月4日
年間第5主日  マルコ1:29~39

 今週の福音は先週の続きで、イエス様の「カファルナウムでの1日」が語られます。会堂という公の場所においてイエス様の持つ神の子としての権威と力が示されました。そしてその会堂から、今度はペトロの家という「家庭・家族」の中にもイエス様の力が現わされます。会堂とペトロの家という2つの場所は、イエス様の教えが「会堂」という場所に限定される信仰ではなく、日常生活の隅々にまで及ぶものであることを示していると思います。

 ペトロの家にはヤコブやヨハネたちも一緒に行きました。ペトロとヤコブたちが近所の友人であるからというよりも、「イエスの弟子たち」という使命にもう気が付いていたからではないでしょうか。ペトロの家には病人がいました。ためらうことなくイエス様がその手をとって起こされると、その女性はすぐにいやされ、すぐにもてなしを始めたと聖書は記しています。今、すぐに起き上がって歩み出すことは、イエス様の福音を信じた人々の心の中に起こる回心を表していると思います。信じた人は直ちに行う人となるのです。

 1日が終わり日が暮れても、町中の人々がペトロの家にやってきます。イエス様の活動には休みがありません。しかし夜が明けるころ、イエス様は一人で祈りに出かけます。ペトロたちは、いつイエス様が出かけたのか気がつかなかったようです。そこで、「イエスの後を追い」と記されています。彼らは何を手掛かりにイエス様の後を追ったのでしょう。「先生はどこにゆかれたのだろう?」「先生ならば、きっと祈るために出かけたに違いない!」「祈るためにふさわしいところとはどこだろう?」ときっとこんなことを言い合いながらペトロたちはイエス様を捜し回ったのかもしれませんね。

 イエス様を捜し当てたペトロは言っています。「みんながあなたを捜し求めています」と。ペトロが言ったことばは深い意味を持っていると思います。人生に疲れた人、助けを求める人、生き方に悩んでいる人、すべての人がイエス様に光、いやし、道を求めているという意味ではないでしょうか。

 イエス様はペトロたちに答えて言われます。「近くの町や村へ行こう。そこでもわたしは宣教する」と。イエス様が来られたのは「宣教」のため、今もイエス様はこの町、この家庭を訪れて、その教え、その力を現わそうとしておられるのです。信じる人々が立ち上がるために、人々に仕えるようになるために、今日もイエス様は「宣教する」と宣言され、わたしたちに近づいて来られるのです。

【祈り・わかちあいのヒント】
*宣教するのは誰でしょうか? わたしorイエス様、イエス様とわたしたち?