「わたしはこの目であなたの救いを見た」
毎年、主の降誕の直後の日曜日は「聖家族」の祝日が祝われます。あらゆる家族の起源であり模範である聖家族というテーマは、いつの時代にあっても家庭・家族の大切さについて思い起こさせます。「家庭」とは家族という絆をもった人々が集う「場」であり、家族とは生命・人生・信仰・祈りの絆をもった人々によって構成される共同体です。最も小さな単位での共同体でありながら、最も重要な意味をもった共同体であると言えると思います。
第2バチカン公会議の公文書「現代世界憲章」の中で、家族・家庭は「小さな教会」であり「人生を学ぶ学校」というおもしろい言葉で表現されています。わたしたちは生まれてくる時、誰しもがこの小さな共同体の中に生まれてきますし、その共同体の中で生命と人間としての人生の歩み方の第一歩を学び始めるのです。父と母が信頼し合い、愛し合い、協力し合う姿を見て育つわたしたちは、無意識の中に「人と人とは信じ合えるもの、語り合えるもの、協力し合えるもの」という心を育ててもらったのです。だからこそ、他の人に出会った時、人を信じて生きることが出来るのだと思います。ですから両親という召命を生きる人々に申し上げたいのは、「両親の仲がよいこと」、それが子供の教育にとって大切なことであり、第一歩であるということです。
さて、今日の福音朗読では聖家族がそろって神殿にやって来たことが語られます。そこで聖家族は2人の人物に出会います。1人はシメオン、もう1人はアンナです。この2人はメシアの到来を待ち焦がれていた旧約時代の義人を代表する者として幼子イエスと出会います。「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっており、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを受けていた」と記されています。シメオンは貧しげな家族に出会い、その幼子を見て、腕に抱き上げ、神をたたえて言います。「主よ、今こそお言葉のとおり、しもべを安らかに去らせて下さい。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」とシメオンは賛歌を捧げます。他の人々にはイエス・マリア・ヨセフの3人はどこにでもいるような平凡な家族にしか見えなかったかもしれません。しかし、心からメシアを待ち望んでいたシメオンには、この幼子とその母の姿が他の何者も持ちえない神様との純粋で光り輝いた絆をもっていることが感じられたのではないでしょうか?
【祈り・わかちあいのヒント】
*わたしたちはこの幼子を見て、メシアを感じることができるでしょうか?