毎年、四旬節の第2主日には、ご変容の箇所が朗読されます。エスドレロン平野の東部にぽつんと立っているタボル山がご変容の行われた山と言われています。今日でもタボル山の頂上にはご変容を記念する教会が建っています。その聖堂の内部の4つの壁にモザイク画が飾られています。そこにはイエス様の4つの姿が描かれています。小羊の姿、ご聖体の姿、十字架の姿、復活の姿だったと思います。
イエス様が十字架にかかって死ななければならないこと、しかし、3日目に復活することを弟子たちに話されましたが、弟子たちはこれを受けとめることが出来ませんでした。それゆえ、3人の弟子、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて山に登りました。そして、そこで、人の子であるイエス様が「神の子」としての栄光、すなわち十字架の後に現れる復活の栄光の姿をお見せになったのです。その素晴らしさは、ペトロのことばに表れているように「もう、どこにも行きたくない、ここに留まるために家を建てましょう」と言わしめるほどでした。つまりペトロは「これ以上、素晴らしいことはないだろう、わざわざエルサレムで死ななければならないなどということは必要ないのでは?」と思ったのかもしれません。
しかし、雲の中から響いた声は、「これは私の愛する子、これに聞き、従いなさい」という内容でした。このことばは神様の救いの計画が十字架にあることを意味し、イエス様はわたしたちにも十字架を負ってご自分の後に従いなさいと命じられています。 このご変容の出来事には大切なメッセージがあります。
イエス様は様々な姿で私たちの前におられる。
私たちは3人の弟子たちのようにイエス様の素晴らしい栄光の姿を垣間見ることがある。
しかし、私たちはイエス様の素晴らしさの全体をまだ知らない。
それゆえに、私たちはイエス様の声に耳を傾けなければならない。
イエス様が十字架を避けなかったように、私たちも自分の十字架を引き受けなければならない。
イエス様は私たちのいつも1歩先におられる、ここで留まろうとしてはならない。
この栄光を理解するには時間がかかることを忘れてはならない。
【祈り・わかちあいのヒント】
*私がイエス様に魅かれるのは何故でしょうか?
*私がペトロだったら何を思い、何を語り、何をするでしょうか?