2025年7月27日
年間第17主日  ルカ11:1~13

 ルカ福音書は祈りの福音書というあだ名がつけられるほど、「祈り」を強調しています。まず、ルカ福音書の冒頭は、洗礼者ヨハネの父となるザカリアが祭司の務めを果たすために神殿の至聖所に入るところから始まります(1:8~23)。またイエス様の洗礼の場面でも、洗礼を受けた後、祈りを捧げているイエス様の頭上に天が開き、聖霊が鳩のような姿であらわれ、「これは私の愛する子」という声が響きます(3:21~22)。12使徒を選ぶ前にも祈りを捧げるイエス様の姿を記しているのはルカの特徴です(6:12~16)。ご変容の記述にも「祈っておられるとその姿が変わり」と記すのはルカだけです(9:28~36)。そして、今日の福音、すなわちイエス様が主の祈りを教えてくださった時も、イエス様ご自身の祈りと私たちに教えてくださった祈りとの絆をルカは強調していると思います。

 この当時、ラビとその弟子たちのグループには、そのグループの特徴を表わすグループ独自の祈りがあったようです。「ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにもイエス様のグループであるしるしとなる祈りを教えて下さい」というのが弟子たちの望みであったのです。ルカはマタイが記した「主の祈り」よりも簡略な形に、マタイ福音書は「7つの祈願」ですが、ルカは「5つの祈願」にまとめています。聖書学者によれば長さの点ではルカが、用語の点ではマタイの方が、イエス様がお教えになったものに近いと言われています。そして、この主の祈りは、マタイもルカも「主の受難」と深いかかわりがある祈りであるという点で一致しています。「み旨が行なわれますように」とはゲッセマネで主の口から繰り返し聞かれる言葉となります。「誘惑にあわせないで下さい」とは「もし、あなたが神の子ならその十字架から降りよ」という敵対者の罵りの言葉を連想させるものがあります。「私たちの罪を赦してください」とは十字架上で回心したあの盗賊の言葉を思い起こさせます。

 「御国が来ますように」という祈りの言葉は不思議です。「天国に入れますように」ではなく、「み国が来ますように」とはどんな意味なのでしょう? この地上において神の御心が実現することこそ、イエス様がこの世に来られた理由なのです。神様を「父」と呼ぶことにより、人間が作り出したすべての壁、分け隔て、文化、人種、国籍、言語などもすべて超越する原動力が与えられるのです。この地上を、天と同じく神様の御心のすべてが実現する世界に変えてしまおうとするイエス様は、そのために十字架さえもいといません。人間がしでかすどんな罪や悪よりも神様の愛は強く、その罪や悪をさえも素晴らしい赦しと恵みへと変えてしまうことが出来るお方こそ神であることを示すのが、あの十字架の出来事なのです。私たちがイエス様の弟子であることを示す「主の祈り」を、心をこめて今日も祈りましょう。

【祈り・わかちあいのヒント】
*主の祈りはイエス様と一緒に唱えている祈りであることをお忘れなく!