主の洗礼の翌日から年間と呼ばれる典礼の季節が始まり、四旬節の始まりである灰の水曜日まで続きます。この年間と呼ばれる日々はイエス様の公生活の教えや出来事を味わい、祈り、深めることが目的となっています。さて、今日の福音ではヨハネ福音書の第1章に記されている最初の弟子たちとの出会いが語られています。
ヨハネとアンデレが洗礼者ヨハネに従っていた時、洗礼者ヨハネから「見よ、神の子羊を」とイエス様を示されて、不思議に思いながら、その後を追いかけてゆきます。やがてそのお方はふりかえって、問いかけられました。「何を望んでいるのか?」と。このことばは後に福音書を書いたヨハネにとっては初めて聞いたイエス様の声であり、またヨハネ福音書を読むすべての人々にとって、深い意味をもったイエス様の問いかけとなるのです。何と答えてよいのかとまどった2人は「先生、あなたはどこにお泊まりでいらっしゃいますか?」と答えていますが、これは「どこに行けば、あなたとお会いできますか? あなたと一緒にいることができますか?」という意味があると思います。イエス様の答えは「一緒に来なさい。そうすればわかる」と、これまた深い意味を感じさせることばです。一緒に行く、同じ道を歩むことによってのみイエス様がどのようなお方であるかがわかるのです。
若い2人はイエス様と一夜を過ごしました。どんなことを語り合ったのでしょうか? 朝早く、彼らは家に戻ろうとする途中の道で、捜しにきた兄シモンと出会い、「メシアにお会いした」とシモンをイエス様のところに引っ張ってゆきます。シモンをみてイエス様は「あなたはケファ(ペトロ)である」と宣言されます。イエス様に出会った人には新しい人生が始まるのです。
さらに2人が弟子に加わります。フィリポとナタナエルです。彼らは友人同士でした。フィリポとアンデレはこのようにイエス様と人々が出会うために導き手となる役割を果たしています。それはヨハネ12章にも記されています。「祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て願った。フィリポはアンデレに話し、2人はイエスに話した」(ヨハネ12:20〜23)この2人の働き、役割は大切です。2人の人柄は人々とイエスを出会わせるにふさわしい親しみやすさをもっていたのではないでしょうか?
【祈り・わかちあいのヒント】
*自分のことばや行いは人々をイエス様に近づけることに役立っていますか?