「いつくしみの特別聖年」の中で迎えた復活祭

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やや寒い聖週間となりました。聖木曜日の「主の晩さんの夕べのミサ」、聖金曜日の「主の受難」の典礼を終えて、復活を待ち望む祈りにそれぞれ専心して復活徹夜祭を迎えました。聖土曜日の夕暮れを過ぎて、聖堂に一人またひとりと集まってきます。

夕闇が一段と濃くなり、聖堂入口前で、復活ろうそくの祝福とともに光の祭儀の始まりです。復活ろうそくを掲げて司祭が「キリストの光」と呼び、「神に感謝」と応える中、各自聖堂に入り着席。整然と落ち着いた形で手元のろうそくにその光を受け取ってゆきました。手の中で小さく灯る光のうちに、神の愛の明るさと温もりをあらためて感じるひと時。有り難い思いの中で復活賛歌に唱和し、やがてことばの典礼へと進みます。
説教の中では、今年は「いつくしみの特別聖年」の中で迎えた復活祭であるということを神父様が強調されました。たしかに手元の冊子に目を落とすと、徹夜祭のアレルヤ唱は詩編118のことばで、「アレルヤ、アレルヤ、アレルヤ、神をたたえよう。神はいつくしみ深く、そのあわれみは永遠」と歌っています。この詩編は復活の主日(日中のミサ)、復活節第2主日のミサでも答唱詩編として歌われるもの。復活祭はまさしくイエスの復活に示された神のいつくしみに感謝と賛美をささげる祝いです。
飛び込んでくるニュースに胸を痛め、現代の「闇」を感じないではいられない今年、ゆらゆらと輝き始めた復活の光はわたしたちの切なる希望の姿そのもの。ゆらめいても、消えそうになっても消えることのない光として、一人ひとりの心で輝き続けますように。
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