2023年待降節黙想講話 教会の心で愛となる

講師:増田 健神父様(クラレチアン宣教会、上智大学神学部講師)

はじめに

 皆さん、こんにちは。ありがとうございます。
 まずは皆さんに心から感謝を申し上げたいと思います。稲川[保明]神父様と、上智大学で神学生の頃からお世話になっている石井[祥裕]先生。(先生の前で話さなあかんのは大丈夫かなあと思いながらも)今日はとても楽しみにしてきました。ご紹介に与りました増田健と申します。もしかしたら、増田健という顔かなあと思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、私はお母さんがスペイン人で、生まれは大阪、今住んでいるのは東京なんです。

 2016年に司祭になりまして、修道会はクラレチアン宣教会という[1849年に]スペインで創立された宣教修道会[1951年来日]で、杉並に修道院があります。神父になった後名古屋で少し働かせていただいて、皆さんといろいろな出会いがあって、あとはローマでちょっと勉強して、それが終わって[今年の]4月から上智大学で教え始めました。

待降節第1主日のきょうはザビエルの日

 今日[12月3日]は特別な日です。待降節の最初の日曜日で、教会のお正月で新しい典礼暦が始まるというときで、イエス様をお迎えする準備を始めるときですが、同時に聖フランシスコ・ザビエルの記念日にも当たるというのはなかなかないかなと思います。ましてや、この聖フランシスコ・ザビエルの聖遺物とご像があるこの関町教会での、教会ができて初めての黙想会で皆さんと一緒にお祝いできるというのは、本当に神様のお恵みだと思います。僕自身も、招いてくださってすごく嬉しく思います。
 私が働いている上智大学でも、一昨日まで「ザビエル・ウィーク」でした。上智大学はフランシスコ・ザビエルの「日本のミヤコに大学を」という夢をかなえた大学ということで、ザビエルの祝日の前の1週間を「ザビエル・ウィーク」としてお祝いしています。私も「カトリック学生の会」というサークルの指導司祭として、学生さんたちといろいろなイベント、ミサをしたり、イエズス会の神父さんたちや学生とパネル・ディスカッションをやったりしました。イエズス会の神父に囲まれて、僕がイエズス会の神父と思われたかもしれないのですが。フランシスコ・ザビエルは、イエズス会の偉大な聖人であると同時に、日本で生きている私たち皆にとって大きな模範であり、恵みであろうと思います。特に関町教会にとって大きな存在だと思います。
 ローマにいたときにグレゴリアン大学で勉強していたのですが、博士課程で論文を書くのに苦労しているときに、「たいへんだなあ」と思うと隣のジェズ教会というイエズス会の大きな教会によく行ったんです。そこにはザビエルの右手があります。日本の方であったりインドの方であったり、何百人何千人に洗礼を授けた手が、聖遺物としてあるんです。何かたいへんなことがあるときには、その前に行ってザビエルにお祈りをしていました。「どうか助けてください。あなたが宣教した日本で、おそらく将来働くであろうから、どうか私を守ってください」とお祈りをしていたので、すごく親しみのある聖人でもあります。

 このザビエルの人生(について)読んでみると、すごくわくわくするいろいろなことがあります。
考えてみてください。あの当時、500年近く前、ヨーロッパから来て、飛行機なんてありませんから、命がけで、船で来(るという)冒険なんです。ザビエルの伝記とか、ザビエルが書(いた)手紙とかを読んでみると、いろんなエピソードがあってわくわくします。
 その中で驚かされるのは、ザビエルはヨーロッパに帰らずに亡くなったのですが、ヨーロッパから船で出たときに、もう自分は自分の国に帰ることはないと覚悟していた(ということです)。例えばポルトガルの王様に書いた手紙を見てみると、ちゃんと書いてあるんです。「私はもうヨーロッパの地は踏まないでしょう。だからこの世界ではあなたとはお会いできないので、天の国でまた会いましょう」みたいなことを書いているんです。それだけの覚悟をもってアジアに来た(ということ)、インドに、インドネシアに、(そして)日本にやって来たということがわかると、すごくわくわくするのと同時に、本当に尊敬の念が浮かび上がってきます。

愛に満たされるハート

 ここでちょっと皆さんと一緒に考えてみたいと思うのは、どうしてそこまでザビエルはしたんだろうか、と(いうことです)。命がけで、自分の生まれた国、大陸を捨てて、自分の言葉でないいろんな言葉を学んで、全く未知の世界に繰り出していったのはなぜだろうか、と(いうことを)考えてみたいと思います。
 お手元の資料の1番、ちょうど今年の5月に教皇フランシスコが、水曜日の一般謁見で演説なさった内容です。

「ザビエルは(宣教において)祈りを決してやめようとはしませんでした。力は祈りから湧くものだと知っていたからです。どこへ行っても、彼は病気の人や貧しくされた人、子どもたちの世話を大切に行いました。〔…〕ザビエルは極限まで思いやりをもち、その中で、偉大さが増していきました。キリストの愛が力となり、ザビエルを最果ての地へと駆り立てました。」

教皇フランシスコ一般謁見演説〔2023年5月17日〕
 教皇フランシスコ自身がイエズス会の出身ということもあって、ザビエルのことをよく知っていらっしゃるんです。彼は、そこまでザビエルを宣教に駆り立てたものは愛だったんだとはっきり言っています。しかも、お祈り、お祈りは神様とのつながりですね、その中で得た愛、キリストの愛に駆り立てられてここまでやってきたんだということが言えると思います。
 私たちが日本の教会として信仰を続けていけるのは、信仰を始められたのは、このように愛に駆り立てられたザビエルの姿があったからだと言えると思います。
 実際、お手元の資料の絵は、いちばん有名な絵で、絶対見たことがある絵だと思いますが、日本の小学校中学校高校の歴史の本にも必ず載っています。たまに授業中に落書きされたりもしますが。(笑)

 この必ず見たことがある絵をいま私たちが見てみると、愛に燃えたザビエルの姿が描かれていることに気づくと思います。ザビエルが手に持っているものは何でしょう。丸みを帯びたものですが、これは心なんです。ザビエルの心。実際にカラーで見ると真っ赤です。真っ赤で膨れ上がっている心なんです。どうして赤く膨れ上がっているかと言えば、その秘密はその心の上にある十字架と関わっています。すなわち、十字架にかけられたイエス様の愛がフランシスコ・ザビエルの心に注がれて、パンパンになって燃えている、そういう絵なんです。
 これは伝説だと思うのですが、よく言われるのは、ザビエルはあまりにも神様の愛で心が満たされていて、心がアツアツだったんです。あまりにも熱くて、たまに庭に出て胸に冷たい水をかけないといけなかった、という言い伝えがあるほどです。実際にザビエルが胸に水をかけたかどうかはわからないのですが、それくらいイエス様の愛に燃えていたということです。
 この絵をもう少し見てみると、ザビエルの口から、なにかホニョロロローと出ていますでしょう。これは台詞なんです。日本のマンガとかだったら吹き出しがありますが、ヨーロッパの絵画では吹き出しの代わりにホニャホニャーとなるのが言葉なんです。で、ザビエルさんが何を言っているかというと、ラテン語でこう書いてあるんです。
 「Satis est, Domine, satis est.」(十分です、主よ、十分です。)
 何が十分かといえば、愛なんです。心にイエス様の愛が注入されているんです。それでこれ以上入らないくらいに心がパンパンになっているんです。もうこれ以上は十分です、というイエス様との語らいのシーンなんです。これがザビエルの人生の中心だったかなと思います。
 皆さんも聞いたことがあると思いますが、[ペドロ]アルペ神父[1907-1991]という、イエズス会の総長をなさっていた方で、ローマに行く前は日本で宣教なさっていた方がいたんです。広島でイエズス会の人々の教育をしていて、原爆にも遭った方ですが、その方がザビエルについてこう書いています。少し古い本なんですが、読みます。

「聖フランシスコ・ザビエルは、キリストの愛を深く理解すると同時に、自分の生活も愛に終始していなければならないことを感得した。自分の生活の目標は無限の神の愛であり、そこに至る道も愛であり、その愛の力の源泉はキリストの愛にあること、したがって今後の自分の生活は愛の生活でなければならないことを知った。」

ペドロ・アルぺ『聖フランシスコ・デ・ザビエル』66頁
 何回「愛」が出てくるのか、「愛」だらけの文章ですが、まさにこれがザビエルの人生だったかなあと思います。
 愛というのは日本語ではなかなか言いにくい言葉、照れる言葉であるかもしれません。ヨーロッパとかでは、僕もお母さんがスペイン人なので、夫婦の間とか子どもと親との間でよく「愛してるよ」と言います。自分も小さい頃のことを考えると寝る前とかにお父さんとお母さんの二人が僕のおでこにキスをしてくれて「愛してるよ。おやすみ。神様が守ってくれるように」と言ってくれて、僕が安心して眠るということがよくありましたが、日本だと気恥ずかしいところがあるかもしれませんね。朝起きてご主人が奥さんに「愛してるよ」と言ったら奥さんはびっくりしちゃうかもしれませんね。「大丈夫? 熱がある? 病院行こうか」と奥さんが言うような家庭もあるかもしれませんね。「愛してるよ」と普段から言っている家庭もあるとは思うのですが。

愛は「ご大切」

 愛というのはただ感情だけではなくて、人を大切にすることだと思います。皆さんもよくご存じだと思いますが、聖フランシスコ・ザビエルたち宣教者が外国から日本に来たときに、愛という言葉をどう日本語に訳したかといえば、「大切」と訳したんです。人間同士の愛を「大切」、神からの愛は尊い愛なので「ご」を付けて「ご大切」と訳したんです。すなわち愛というのは、目の前にいる人が、本当に生きていてほしい、幸せになってほしい、そのことを願ってその人を大切にする、これが愛です。なので、ザビエルが神から受けたものは、ザビエル自身が神様のみ腕の中で生かされた、神様のみ腕の中で本当の幸せを見出した、それを感じた、それが愛です。そしてその大切にしてもらった分、私も世界に行っていろんな人を大切にしたい、また神様が大切にしてくださっているということをいろんな人に伝えたいと思って日本にまで来てくださったわけなんです。
 これがザビエルの人生だったわけです。
 だからこそ、教皇フランシスコのさきほど読んだ言葉の中でも、「ザビエルは極限まで思いやりをもち」、子どもたちや貧しい人たちを大切にしましたと言っているのは、そこにあるんです。

 このようにザビエルは、ただ「神は愛ですよ」と伝えただけではなくて、実際に言葉と行いでもってその土地の人々を大切にしたんです。
 その当時、500年近く前、ヨーロッパの人たちの中にはいい人もいれば、人間なのでそんなに良くない人もいたと思うんですが、中には、ヨーロッパからアジアに来るときにアジアの人々を見下していた人もいました。アジアの未開の地にヨーロッパの文化を持っていく、みたいな。日本には日本の豊かな文化があって、中国にもインドにも豊かな文化があったわけですが、自分の文化を押し付けようとする人がいなかったわけではないんです。
 しかし、ザビエルはそうではなかった。その行った土地、インドならインド、インドネシアならインドネシア、もしくは日本の人々と友となる。イエス・キリストが人類の友となってくださったように、ザビエルもアジアの人の友となって、アジアの文化を尊重し、その尊さを嚙みしめながら、神様の喜びのメッセージ、福音を、愛をもって伝えた……この思いやりがザビエルの宣教の仕方だったかなと思います。
実際、例えばインドの人々からインドの豊かさを搾取しようとしていたポルトガルの王様に、ザビエルは反対するんです。戦うわけなんです。その戦い方も面白いのは、王様に向かって「あんたはダメなことをやってる」と厳しく言うのではなくて、まずは王様に言うんです。
 「私はあなたのことを愛しています。大切に思っています。王様のことを大切に思って愛しているからこそ、忠告をいたします。あなたのせいでインドの人々は苦しんでいるんです。その苦しみの声が天国に届いているんですよ。だから王様が人生を終えて天国に行くときに、えらい目に遭いまっせ」
 脅しなんだけど、でも愛を持った脅しなわけです。「あなたのことを思っているんです」という。だから、その土地にいる人、インドとかインドネシアとか、日本にいる人たちを愛していた。プラス、自分とは意見の合わない人、ポルトガルの王様とかも、愛を持って忠告していたということが言えるかなと思います。
 実際このザビエルの宣教の仕方、愛を持った宣教の仕方が見えるのが(資料の)3番目なんですが、ザビエルさんが、自分の同僚、自分より若い後輩の宣教者に送った手紙でアドバイスをしているんです。どういうふうに宣教したらいいかと、いろいろな具体的な例も手紙に書いているのですが、その1つにこう書かれています。3番目です。読みます。

「もしあなたが厳粛で悲痛な顔つきをしていれば、多くの人たちは恐れをなして、あなたに相談するのをやめてしまうでしょうから、重苦しく、いかめしい顔をしないで、快活な態度ですべての人たちと交際しなさい。それで、あなたと話をする人たちが恐れを感じたりしないように、愛想よく親切で、とくに叱責する場合は、愛情と慈しみをもってするようにしなさい。」

フランシスコ・ザビエルがバルゼオ神父に送った手紙〔1954年4月初旬〕
 まあそうですよね。神父さんが暗い顔をしてたら、怖い顔をしてたら、よう近づきませんよね。「いやあ、近づいていいんかな」ってなりますよね。だから明るい顔をしなさいと言うんです。これはただ神父とか宣教者だけではなくて、私たちみんなに当てはまるかなと思います。神学生であったり修道者であったり、そして全ての信者キリスト者に当てはまると思うんです。

 皆さん教会でどんな顔をしてますか? 鏡で見たらいいかもしれません。もしかしたら暗い顔をしちゃってるかもしれませんね。もしくは、教会からおうちに帰るとき、どんな顔をしてますか? おうちに誰かいたらどういう風に挨拶してますか? もしおうちに誰かがいらっしゃるとしたら、教会から帰ってくる家族が笑顔で帰ってくるか、このザビエルの言葉を使えば重苦しくいかめしい顔をして帰ってくるかでだいぶ印象が違うと思います。
 よくいろんな方から相談を受けるんです。「私の家族を教会に連れてきたいんだけど。私の孫とか私の息子、娘を教会に連れてきたいんだけど、なかなか教会に来てくれない。どういうふうにしたらいいでしょうか」。僕がその時に言うのは、「もちろんイエス様のお話をするのもいいんだけれども、まずは、あなたは教会から帰ってくるときどういう顔してますか」と。教会から帰ってきて機嫌悪い顔をしていたら、「そんなとこに行くかぁ」ってなるんですよね。逆に、教会から帰ってきた自分の奥さんとかお母さんとか自分の家族が、なんかこう重荷を取り去ったようなほっとした顔付き、リラックスした顔付きで、生き生きとして少し優しくなって帰ってきたとしたら、「ああいつもガミガミ言ってるけど、教会から帰ってくるとなんか優しくなってるね。教会って、いいとこやないかな」と思うと思うんですね。
 それも1つの大きな宣教の仕方だと思います。まず教会において、この関町教会というファミリーの中で、共に祈って神を賛美した後に本当に心が軽くなって幸せになっている自分がいるとすれば、また、お祈りに行った後、教会に行った後、少しでも人に優しくできている自分がいるとすれば、それはおのずといろんな人に伝わるのかなと思うんです。例えば、ご近所付き合いでも、本当にいつも人々に思いやりを込めて、無理にするというよりは自然に心から溢れてくる思いやりを持って人々と接していれば、キリスト者ではないご近所の方も、「あらあそこの奥さんとても優しいわね。いつも助けてくださるわ」となるでしょう。もしかしたらそこから、「どうしていつもあれだけ穏やかな顔をしていらっしゃるんだろうか。どうしてあれだけいつも助けてくださるんだろうか。そういえばあの奥さんいつも日曜日に教会に行ってらしたわね」となるかもしれない。ならないかもしれない。分からないけれど、何らの形で神様の存在を人々と共に分かち合うことができるんじゃないないかなと思うのです。

愛に生きた聖テレジア

 このように神の愛に生かされ神様に大切にされて、その大切にされたように私も自分自身も大切にするし周りの人も大切にするというあり方は、もう一人の関町教会の大切な聖人、幼きイエスの聖テレジアにも共通するものだと思います。私たちの保護者の幼きイエスの聖テレジアはまさに愛に生きた人です。この教会のモットーである「テレジアのように祈り、ザビエルのように伝えよう」という、このメッセージを生きている私たちにとって大切なテレジアですが、常に愛に生きていました。
 4番目の文章を少し読んでみましょうか。これは教皇フランシスコがつい最近書いた使徒的勧告、まだ日本語に訳されている途中なんですが、「C’est la confiance」というもので、「信頼こそ」と僕が勝手に訳したものなのでどこまで正しいか分からないのですが、(そこで)こういうふうに教皇フランシスコはテレジアについて書いています。

「完全な信頼は、愛に身を委ねることへとつながり、それは執拗な計算や絶え間ない未来への心配、平和を奪ってしまうような恐れから私たちを解放します。テレジアは人生の最期の日々に次のようによく言っていました。『愛の道を走る私たちは、将来に起こるかもしれない苦しみについて考えるべきではないと思います。なぜなら、それは信頼が足りないということだからです』もし限りない愛をもって私たちを愛してくださる御父の手に自らを委ねているのなら、どんなことがあろうとその御父の愛こそ真実であり、何が起ころうとも前に進み、たとえどんなかたちであれ、御父の愛と充満のご計画が私たちの人生において成就するでしょう。」

教皇フランシスコ使徒的勧告『信頼こそ』(C’est la confiance)、24番
 すなわち本当に神様に大切にされているということを信じれば(前に進めるということです)。確かに人生大変なことは大変なんです。テレジアもすごく大変な目に遭ったわけですね。今病気で亡くなろうとしている最期の日々に言った言葉というふうに書いてあるのですが、大変だったんです。だけれども、神様は必ず自分たちを大切にしてくれる、そのご計画があるんだと信じられるという、勇気を得ることができるということだと思うんです。まさしく、私たちの好きな聖書の箇所[マタイ6・25-34]ですよね。「ごらんよ空の鳥」って典礼聖歌にもありますよね。上智大学で働きながら聖歌隊から教わったのですが、「ごらんよ空の鳥」[『典礼聖歌』391番]を 「ゴラトリ」と略すみたいですね。だからこの「ゴラトリ」に描かれているように、本当に神様が私たちを大切にしてくれているんだと。そうすれば、将来こんな苦しみがあるかも、こんな大変なことがあるかも、とよく私たち考えてしまうのですが、僕もそれで心配になってしまうんですが、神様の愛に身を委ねようと、そういう信頼が起きると思うんです。

召命としての愛

 このように、神様の愛に信頼して生きたテレジアですが、彼女自身自分がどんな召命に呼ばれているかと悩んだ時期があったみたいです。よく言われることですし、稲川神父様もよく言ってくださることだと思うのですが、私たち一人ひとりには、神様の愛と命を実現するための何らかの召命の形が与えられていると思うんです。一人ひとりに何らかの役割があると思うんです。もちろん神父になる人もいるでしょうし、シスターになる人もいるでしょうし、でもそれだけではないんです。いろんなお仕事とか、もしくは家庭の中もしくは何かタイトルがなくても自分にできること、それに神様は呼んでいらっしゃると思うのです。テレジアもそれを考えたわけです。教会では宣教は大切、私も宣教に携わりたい、でも私自身はどういうような召命、神からの呼びかけを受けているんだろうかと悩んだ時期があったそうです。そのことに関してテレジアは自叙伝で次のように言っています。5番の資料です。読みます。

「教会が、いろいろな異なる肢体から成り立っているからだであるならば、すべての肢体の中でいちばん大切で、いちばん高尚なものが欠けているはずはないと悟りました。教会にもひとつの心(臓)がある、そしてこの心(臓)は愛に燃えていると悟ったのです。教会の肢体を動かしているのは愛だけです。〔…〕『おお、イエス、私の愛よ。私の天職をついに見つけました。それは愛です。』 そうです。教会のうちに自分の席を見つけました。〔…〕母である教会の中で、私は愛となりましょう。」     

(幼いイエスの聖テレーズ自叙伝:その3つの原稿』、288-289頁
 皆さんも読んで気づくと思うのですが、聖パウロの言葉からインスピレーションを受けているんですね。ミサの中で、もしくは聖書の中で読んだことがあると思うのですが、パウロはキリストの体と教会を連想させるんです。教会はキリストの体であると[ローマ12・4-8;一コリント12・12-31]。
 教会とはもちろん皆さんご存じの通り、建物とか組織という以前に私たちみんなですよね。信じる共同体みんな教会なんです。その教会はキリストの体であると。頭はキリストなんですよね。そしてそれぞれの体の部分が私たちなんです。ある人は手かもしれない。貧しい人悲しんでる人をよしよしとする、もしくは施しを分かち合う手かもしれない。ある人は足かもしれない。ある人は慈しみの眼差しを注ぐ目かもしれない。おしゃべりが得意な人は口かもしれない。いろんな部分があります。
 テレジアは悩んだんです。私はこのキリストの体である教会、イエス・キリストの命と愛をこの世に実現する体である教会のどの部分かなと悩んだんですね。そこでテレジアはお祈りの中で気づいたんです。私は教会のハートであると。ハートには両方の意味があるんですね。心臓という意味もあれば心という意味もある。両方の意味があると思いますが、教会のハート、教会の心になると。そしてその心において愛となると。今日の黙想会のタイトルですね。「教会の心で愛となる」とはテレジアの言葉ですが、それが自分の召命なんだと気がついたわけです。
 ここで私たちが面白いなと思うのは、教会って心があるんだということなんです。決して教会は建物だけでもなければ単ななる組織だけでもない。単なる活動会だけでもないんです。確かにイエスの体として活動しなきゃいけないんです。苦しんでいる人に手を差し伸べたり、いろいろあると思うんです。貧しい人のところに行く足となったり、活動はあるんです。この関町教会にもいろんな活動があると思うんです。ボランティア活動であったり、教会のお掃除であったり、お祈りの会であったり、聖書を読む会であったり、教会学校であったり、なんちゃら会とかたくさんあると思うんです。それは全て大切です。しかしその全ての活動が本当の意味でイエス様の働きとなるためには心がないといけないんです。教会が心を失えば単なる集まりになっちゃうということなんですね。

神の愛に生かされる美しさ、温かさ

 ザビエルの話に戻れば、ザビエルはいろんな活動をしたけれども、それができたのはザビエルの心が愛でパンパンだったからです。だからこの関町教会にも心があるはずなんです。関町教会の心とはどういう心でしょうか。愛に満ちた心でしょうか。命と喜びに満ちているでしょうか。もしかしたらその心にはちっちゃな傷もあるかもしれない。悲しいところもあるかもしれない。もしそうならば、神様に癒していただかないといけない。神様に癒していただいて、その傷もしくはその悲しみにいつも神様からの愛を受けていかなければいけないんだろうと思います。そして、心あるつどい、家族、温かさ、思いやりのある教会であれば、それは本当にイエス様が共にいてくださる教会になるんじゃないかなと思うのです。
 このように私たちはこの新しくなった教会にあって、愛と思いやりを生きるように召されているわけです。この教会はとても美しい教会です。いろいろなシンボルがあるわけです。しかしこの教会を美しいというのは、決して博物館的な意味で美しいわけではないんです。この教会がいろんな美しいシンボルで飾られているのは、それを見て「ああ美しいね」と思って帰るだけではなく、それを通して私たちがもっともっと美しいもの、すなわち神様ご自身、神様の愛に生かされているんだと、そしてこの共同体自体が本当に命の美しさに満たされているんだと、共に祈り共に支え合うことが本当に美しいんだということを思い出すために、このような教会の建物の美しさもあるんです。ここに聖人がいらっしゃるわけです。テレジアがいてザビエルがいる。それは単なる飾りではないんです。この二人の聖人またマリア様そしていろんな聖人が家族として私たちと一緒にいてくれる、そして家族として支えてくれる、共に祈ってくれているんだと、そういうことを思い出すために聖遺物があるしご像もあるわけです。
 その意味で本当にこの関町教会があったかい家族となるとき、もうすでにそうなっていると思うのですが、私がこの教会に足を踏み入れたとき、皆さんがあったかい共同体家族であるということを感じたんですね。でもそのあったかさが、神様の愛に成長していくときに、本当の意味でこの教会がいろんな人を受け入れるそういう教会になっていくんだと思います。この教会が巡礼教会になったらいいねという、そういう願いを私たちは抱いていると思うのですが、タイトルをもらうかもらわないかは別として、本当にこの教会があったかい家族であるならば、いろんなところからやってくる人々、その中には傷ついた人々や悲しい人々、心が冷たくなった人々もいるかもしれません、その人がこの教会に足を踏み入れるとき、この教会の人々、皆さんと関わるときに、神様のあったかさを感じるようなそういう教会であれば、本当にもうすでに巡礼教会になっているのかなという風に思うのです。
 そのことを実は教皇フランシスコも常に言っています。それが6番に挙げた教皇フランシスコのメッセージです。読みますね。これは2015年の世界難民移住移動者の日のメッセージで、教皇フランシスコが書かれた言葉です。

「教会は、『神は愛』であることを告げ知らせるために、両腕を広げてすべての人を分け隔てなく受け入れます。イエスは死んで復活した後、弟子たちにご自分をあかしし、喜びとあわれみの福音を告げ知らせるという使命を託しました。〔…〕教会は初めから、全世界に開かれた心をもった母です。」

 さっき言った、教会には心がある。しかもそれは開かれた心である。しかもそれはお母ちゃんのような開かれた心であるということです。続けます。

「教会には国境がありません。〔…〕すべての人の母である、国境のない教会は、受容と連帯の文化を世界中に広めます。その文化の中では、役にたたない人、居場所のない人、使い捨てられる人などいません。キリスト教共同体は、こうした母性を十分に発揮しながら、〔…〕すべての人と共に忍耐強く歩み、祈りとあわれみのわざを通して人々に寄り添います。」

教皇フランシスコ「2015年世界難民移住移動者の日メッセージ」
 教皇フランシスコがよく言うのは、この今の世界の文化はポイ捨ての文化だと言うんです。それは、新しい携帯(電話)が出たらすぐにその携帯を買って今まで使ってきたものはポイ捨てするというのも含めるのですが、もっと恐ろしいのは人間のポイ捨てということです。役に立つ限り、バリバリと働く人で社会に役立つ人ならば尊重されるけれども少しでも怪我したりとか心が少し落ち込んでしまったり、もしくは年齢を重ねて働きが鈍くなると、「はいその人いらない、ポイ捨て」となるような社会だと、教皇フランシスコは言うんです。
 そのポイ捨ての社会に対抗する唯一の手段は、教会自体がお母さんのような心を持つことだと。よく教皇フランシスコは、「優しさの革命」ということを言います。さっきから言っているように教会というのは私たち全員なんです。私たち全員は、家族であると同時にお母さんのような開かれた心を持った存在、お母さんが子どもをいつでも迎えるような、子どもが学校から帰ってきたら、「お帰り」と手を広げて言うような、そういうような心を持った共同体家族なんだということを言っているのです。私たちもその中で育てられました。私たち一人ひとりはこの教会共同体の中で信仰を学び、癒され、成長していったわけです。私たちにとっても癒しの場であると同時に私たち一人ひとりがまた教会として共同体としてお母さんのように人を迎えるのです。
 このようなお母ちゃんのようなあったかい心を持った教会になるというのは、実は第2バチカン公会議でもよく言われていることなんです。

 例えばこの教会にとてもゆかりのあるフリングス枢機卿様[1887-1978]、名前を聞いたことがありますか。(関町教会報)「こみち」でフリングス枢機卿の生涯と(いう)連載があ(りますが)、ドイツのケルンの大司教様、枢機卿様で、関町教会を始めるにあたって教会を聖別してくださった枢機卿様ですね。ケルン教会の援助のおかげでこの教会は誕生したわけなんですが、このフリングス枢機卿様も、(第2)バチカン公会議[1962-65]のときにこういうようなメモを残しているんです。バチカン公会議の中で教会の文書を出すときに、具体的には、聖書と教義に関する文書を作っていたときに、フリングス枢機卿は人々に伝えるためにメモを書いたんです。「あまりにも硬い文章を書かないでくれ」と。

 教会は、偉そうな大学の教授とか、上智大学の神学部の教授は偉そうではないのですが、私たちが一般的に思い描くような偉そうな教授とか、博士でもなければ、厳しく裁く裁判官でもないはずだ。教会というのはお母さんのような存在、教えるときも子どもに教えるような存在であるべきだと。
 教会が羊飼いであるというときは、羊を厳しく罰するような羊飼いではなくて、羊さんたちが声を聞きたくなるような羊飼い、羊さんたちが声を聞いて安心するような良い羊飼い、それはイエス様の姿ですけれども、そのような教会、お母さんのような教会にならなきゃいけないんじゃないですかと、フリングス枢機卿は第2バチカン公会議のときに意見を出すわけなんです。
 そのように私たち教会全体、特にこの関町教会はお母さんのようなあったかい心を持つように呼ばれていると思います。

マリア様の心

 では、どういうふうにすれば、そのようなあったかいお母ちゃんのような心を持った教会になるでしょうか。モデルが必要かなと思います。何にもモデルがないと私たちはどういうふうに生きればいいかわからないので。
さてモデルは誰でしょう。すぐ出てくると思います。マリア様だと思いますね。やっぱりお母さんと言ったらマリア様なんですよね。マリア様ご自身があったかいお母さんのような心を持った方だったわけです。
ではどのようにすればマリア様のようになれるでしょうか。それを少し最後に考えたいと思います。
 この資料にもマリア様のみ心の絵を載せたわけですが、これは実はクラレチアン宣教会でよく飾られているマリア様の絵なんです。
 クラレチアン宣教会というのは、「マリア様の汚れなきみ心の子どもたちである宣教者会」[スペイン語: Congregación de Missioneros Hijos del Immaculado Corazón de Maria]ということですが、名前が長いので短く、聖クラレト[アントニオ・マリア・クラレト・イ・クララ 1807-1870]が創った会、クラレチアン宣教会と大体は呼ばれるのですが、宣教するに当たってよくマリア様のみ心について観想、黙想をするんです。その中でやっぱりマリア様は心を持った存在である。イエス様も心を持った方であるけれども、二人ともあったかい心、愛に満ちた心を持っていらっしゃる方なんです。
 マリア様がどうしてこのようにあたたかい心を持っていたか。そして私たちのお母さんとしていつもそばにいてあたたかく祈ってくださるかと言ったら、それはマリア様がイエス様のお母さんだからなんです。マリア様はイエス様のお母さん、神様のお母さんになることによって、私たちみんなのお母さんになったんです。なのでここから学ぶことができるのは、私たちもみんなを、特に傷ついた人とか心が冷たくこごえてしまっている人を迎えるお母さんのような関町教会になるためには、私たちもある意味でイエス様のお母さんのようにならなければいけないということだと思うんです。でないとマリア様のようになれないわけです。
 ここで思うかもしれません。「いやあ、マリア様のような人になるというのはまあいいとして、イエス様のお母さんに私たちがなるって、いやそれ無理じゃない」と思うかもしれない。でも実は、イエス様のお母さんになる、そのような心を持つというのは、キリスト者にとってとても大切なことだし、待降節の1つのテーマになり得ると思うのです。

私たちがイエス様のお母さんに!

 実際、教会の教父と呼ばれる人たち、いろいろな有名な人たちがいましたでしょう、アウグスティヌスとか、アンブロシウスとか、いろんな有名な方がいらっしゃったわけですが、そういう教父たちも同じことを言っているんです。私たち教会、そして私たちキリスト者一人ひとりは霊的な意味でマリア様のようにこの世にイエス様の存在、イエス様の愛をもたらすお母さんのような存在なんだと。そして実はイエス様もそのようなことを言っていると教父たちは言うのです。それが(資料)最後の7番目の聖書の箇所です。
 マタイ福音書12章です。このように書いています。

「イエスは(言われた)。『私の母とは誰か。私のきょうだいとは誰か。』そして、弟子たちに手を差し伸べて言われた。『見なさい。ここに私の母、私のきょうだいがいる。天におられる私の父の御心を行う人は誰でも、私の兄弟、姉妹、また母なのだ。』」         

マタイ12:48-50
 天のお父様のみ心を行う人はイエス様の兄弟イエス様の姉妹、ここまでは分かるんですね、でもまたイエス様のお母さんのような人になるんだと言ってるわけです。
 驚くべき言葉なんですが、本当に私たちがこの教会でミサとか聖書を読みながら神のみ言葉を受け入れるとき、またご聖体を通してイエス様を私たちの心もしくは教会の心に受け入れるとき、私たちはマリア様のように霊的な意味でイエス様を自分たちのうちに迎えることができるんです。
  マリア様が自分のお腹の中でイエス様を受け入れてイエス様を本当にお母さんとして大切に育て、そして私たちにもたらしてしてくださったように、これは歴史において1回限りの出来事ではあるのですが、霊的な意味で私たちがイエス様を心に迎え、そして頂いたイエス様の命イエス様の愛を本当に大切に育てていくとき、いろいろな大変なことが人生にあるかもしれない、苦しいこともあるかもしれない、でも私たちのうちに頂いたイエス様の愛の鼓動を感じながら、そのイエス様の命を私たちの心の中でどんどん育てていくとき、そしてその育ったイエス様の愛と命を私たちの行いを通して、人々を慰めたり人々と共にいたり人々を助けたりもしくは道を探している人々にイエス様のみ言葉を伝えたり、そのように働くとき、私たちが本当に心ある思いやる存在として共に教会ファミリーとして働いていくときに、イエス様は霊的な意味で私たちを通してその人の心にまたお生まれになる――そのようにいろいろな教父たちとか聖人たちは考えて人々に伝えていったわけです。私たちもそのように呼ばれているのかなというふうに思います。

 まさしくこれが待降節の1つの意味かなと思うのです。私たちは単に2000年前に生まれたイエスを記念するだけではないんです。それを当然記念するのです。でも私たちが本当に信仰において記念するとき、その出来事、この愛と命の2000年前の出来事は私たちのうちに神様の働きによって実現するのです。イエス様のお人形を飾るだけではなくて本当にイエス様が私たちのうちにまた来てくださる。ミサは毎回そういう奇跡が行われているわけですが、クリスマスを私たちが12月24日の夜もしくは25日の朝昼にお祝いするときに、ここにイエス様の赤ちゃんのご像を飾るときに、私たち一人ひとりの心にイエス様がまた生まれてくださる。そしてこの関町教会という教会の心に、心というのは私たちの絆でもあると思うのですが、その絆のうちにイエスが生まれてくれる、そのために私たちは準備していくわけです。

すべての人を迎え癒すファミリーに

 ここ[聖堂の右側の脇祭壇の右端]には、「絆の聖母」というマリア様のご像がありますね。とても美しいご像ですけれども、私たちが本当に愛し合うとき、大切にし合うとき、その絆においてその思いやりの交わりにおいて、それが本当に教会の心となってそこにイエス様が笑顔で、だいたいイエス様の赤ちゃんのご像は手を広げて笑顔でこうやって私たちを迎えてくれるわけですが、そのように手を広げて笑顔で迎えてくれるイエス様がお生まれになる。この関町教会という共同体自体が笑顔のイエス様を迎える飼い葉桶になっていく……その時こそ私たち一人ひとり、また関町教会全体がマリア様のようにお母さんの心を持った、全ての人に開かれた、全ての人を迎え癒す、そして喜びと命を分かち合う、そういう心を持った教会共同体、そしてして家族、ファミリーになっていくのかなと思います。

 どうか一人ひとり、皆様の心に神様の愛が宿るように、そして私たちみんながこの教会特に関町教会の心において、愛となって世界を温める、世界を照らす、そういう存在になっていきますように、神様に恵みを願いましょう。
 それでは感謝の心を持ってマリア様に私たちの希望を委ねて、マリア様がいつも私たちを導いてくれるようにアヴェ・マリアの祈りを唱えましょう。そして祈った後に、この教会でよく祝われているテレジアの歌を皆さんで一緒に歌って、感謝のうちに派遣されてゆきましょう。

 ではマリア様にお祈りいたしましょう。
 父子と聖霊のみ名によって、アーメン。
 私たちがマリア様のようなお母さんのあったかい心を持つことができる教会になるように共に祈りましょう。
(アヴェ・マリアの祈り)
 父子と聖霊のみ名によって、アーメン。

                             (2023年12月3日 カトリック関町教会聖堂)