2021年待降節黙想講話
主の降誕に向けて ―アシジの聖フランシスコのクリスマス―

講師:大水 恵一神父様 (コンベンツアル聖フランシスコ修道会)

2021年11月28日 待降節第1主日

「主のご降誕に向けて」ということですが、クリスマスには、皆さん、どのような思いがあるでしょうか?
私はこの時期が近づくと、ある幼稚園の子どもとやりとりした会話をいつも思い出します。私は見た目も「大水」――大きいんです。それで、幼稚園の子どもが私に、「園長先生、おなかの中に何がいるの? 赤ちゃんがいるの?」と言われたんです。それで何て答えたらいいだろうと思って、「実はイエスさまがいるんだよ」と言ったら、「えっ?! 園長先生ってマリアさまだったの?」と、もっとおかしな状況になってしまいました。それじゃあいけないなと思って、それ以来「おなかのなかに何があるの?」と言われたら、「みんなの夢と希望がつまっているんだよ」と答えることにしています。

さまざまなプレゼピオ(馬小屋)

まずは、「アシジの聖フランシスコのクリスマス」ということで、クリスマスといえば馬小屋、プレゼピオが有名だと思います。

コロナが始まる前に、関西で勤めていた学校の修学旅行でイタリア研修旅行というのがあり、それに同行したのですが、そのとき行ったバチカン美術館の中にある馬小屋の写真を撮らせてもらいました(画像1)。あちらの馬小屋は、日本と違ってほんとうに大きいんですね。実物大の馬小屋がたくさんありました。
こちらはバチカン広場の馬小屋です(画像2)。ほんとうに立派なものです。毎年、その馬小屋にテーマがあるということで、この年のテーマは、ここに一人だけいらっしゃるスーツの男性、つまり働く現代の若者が馬小屋を訪れるというテーマでした。

こちらはこれからお話をするアシジの聖フランシスコの生まれ故郷であるアシジという町に飾られていたプレゼピオです。3人の博士が描かれています(画像3)。クリスマスはまだ来ていなかったのですが、なぜかもうイエスさまがいらっしゃるので、「面白いねえ」と写真を撮ったのですが、マネキンを使っているのでリアルなんです。
これは、アシジの大聖堂の上部聖堂の前に広がっている広場一面に、このように、馬小屋を訪れる人たちがたくさんあって、その真ん中にマリアさまとヨセフさまがいらっしゃるのです(画像4)。
こんな形でほんとうにリアルに描かれているのがイタリアでのプレゼピオになります。日本では玄関先とか家の中に小さい馬小屋を飾るなどするのですが、向こうは本格的なもので、日本とは少し違うなあと思い、ご紹介させていただきました。

このプレゼピオはアシジの聖フランシスコが最初に始めたものです。今日はそのことも含めて、聖フランシスコのクリスマスと私たちがご降誕を迎えるための心づもりについてお話しできればいいなと思っています。
画像1 バチカン美術館のプレゼピオ
画像2 バチカン広場のプレゼピオ
画像3 アシジの町のプレゼピオ
画像4 アシジの大聖堂の広場のプレゼピオ

アシジの聖フランシスコについて 

まず、アシジの聖フランシスコについて、皆さんよくご存じとは思いますが、あらためてご紹介したいと思います。
アシジの聖フランシスコは、今から800年ほど前にイタリアのアシジという小さな町で活躍した、今はイタリアの保護聖人になっている聖人です。今の教皇さまも、このアシジの聖フランシスコから名前をいただいています。私たちのコンベンツアル会を創った聖人でもあります。
よく言われているのは「自然環境保護の聖人」です。鳩に説教をしたという話があったり、また蟬とか狼とかにも説教をしたという逸話が残っていたりして、神さまが造られた生き物全てを大切にしたということから、「自然環境保護の聖人」と言われています。

聖フランシスコはもともと裕福な家庭で育っていますが、自ら貧しい生活を求めます。そして修道会を創るのですが、彼の生き方の中には、「平和のために」という思いも強かったのではないかと思います。皆さんよくご存じの「平和の祈り」があります。「私を平和の道具にしてください」という言葉から始まる祈りです。フランシスコが作ったわけではないのですが、その精神が汲まれた祈りになっています。
フランシスコは、十字軍が戦っていたその戦地に赴いたり、イスラムのスルタンのところに行って改宗を求めたりしたという話があるのですが、そのように身を挺して危険な場所に赴いて神さまのことを告げ知らせるということを行いました。
なぜ彼が平和を、またはすべての生きものを大切にしたのかといえば、もともとの考え方はキリストのように生きていきたいという思いです。フランシスコにとって、福音に生きるということが人生の大きなテーマだったのです。
 ですから、イエスさまのように、イエスさまの思いに応えていけるように、彼は毎日祈りを捧げ、そのように生きてきました。自ら貧しさを求めていったのも、やはりイエスさまが貧しい人であり、自身も貧しい人に関わっていこうとされた、そういうことがあったために、フランシスコも自ら貧しさを選んで、貧しい人たちのために多くの活動を行って、そして多くの人たちに神さまの国を、神さまの愛を、神さまが私たちのことをどれだけ大切にしてくださるのかということを伝えていく活動を行っています。
 ですから、「キリストのように」という生き方をもとに、彼はさまざまな活動を行っていたということです。
 アシジの聖フランシスコを紹介するにあたって、彼の生い立ちから説明することもできますが、それをすると長くなってしまいますので、簡単に、どういう人だったかというイメージがしやすくなるよう、昔製作された「ブラザー・サン シスター・ムーン」という映画の一部を観ながらご紹介したいと思います。

 アシジの町というのは、小高い丘は裕福な人が住む地域、下のほうは貧しい人が住む地域というふうに分かれていました。アシジの聖フランシスコは、戦地に赴いてそこで捕虜になって、そこから回心の道に入るのですが、回心後、彼は教会の再建、復興――壊れかけた教会を建て直す活動を行っています。
 この映画でもとくに最初の方に、このように自然をとても大切にする、動物をほんとうに深く愛する、そういう姿がとても印象的に描かれています。
 アシジの聖フランシスコは、神さまから、この世の主人を取るのか、それともほんとうの主人を選ぶのかということを迫られ、彼は天の主人を選んで、そしてそのように生きる生き方を求めていくことになります。元はハンセン病の人たちに近づくことさえいやだったフランシスコは、そのハンセン病の人に近づいて、自分が着ていた高価なマントを差し上げて接吻をしたという話が残っています。父親のもとで裕福に暮らしていたのですが、父親にすべてを捧げて、自分自身は神さまに仕えていきますと言って、裸でアシジの町を去っていく映画のシーンはとても有名です。
 アシジの聖フランシスコはその後、私が着ているような修道服を着て、仲間を増やしながら、貧しい人たちのために、そして教会を建て直しながら、自分自身は説教をしていろいろな人から物をもらって、それをまた貧しい人に分け与える、という生活を送っていきます。
 このような感じで、なんとなく聖フランシスコのイメージがつかめたのではないかなと思います。

グレッチオでの出来事 ――プレゼピオの始まり

画像5 グレッチオの教会
そのフランシスコが亡くなる3年前の出来事を今日は簡単にご紹介します。フランシスコは44歳の若さで亡くなっています。晩年は失明したり、有名な聖痕を受けたりしているのですが、これはそれより約3年前のお話です。グレッチオという町での出来事になります。
これはグレッチオの教会の写真なのですが(画像5)、崖に建てられている教会で、一度だけここに巡礼に行ったときに何枚か写真を撮ったうちの1枚です。上に登って見下ろすとかなり高くて、足を滑らせると危ない、そういう場所に建っている教会です。ここでどういうことが行われたかというと、こんな出来事がありました。

フランシスコが亡くなる3年前のこと、グレッチオと呼ばれる小さな村での出来事です。フランシスコは、主の降誕の15日ほど前に、次のようなお願いをしました。「私は、ベツレヘムでお生まれになった幼子を思い起こすとともに、このいたいけな幼子の居心地の悪さ、どのように飼い葉桶に寝かされ、どのように牛とロバがいる干し草の上に横たえられていたかを、この肉眼をもってでき得る限り見極めてみたいのです。」

チェラノのトマス『聖フランシスコの生涯(第1伝記)』第1巻第30章より
これを聞いたグレッチオの村の人々が、フランシスコの思いに応えるためにはどうしたらいいかということで準備を始めます。

主の御降誕の日、多くの兄弟やその地の人々はフランシスコの願いに応え、夜を照らすろうそくと松明を準備しました。

そこには、飼い葉桶が用意され、干し草が運び込まれ、牛とロバが連れてこられました。グレッチオはまるで新しいベツレヘムのようになっていました。兄弟たちは歌い、賛美をささげ、夜通し喜びがこだましていました。フランシスコは、よく響く声で聖なる福音を歌い上げ、その力強い声,甘美な声、澄んだ声、よく響く声で、すべての人を至福の境地へと誘いました。

そして、周りの人たちへ説教を行いました。時折、

「イエス」

という名で呼ぼうとするとき、あまりにも大きな愛に燃え上がり、甘美な感情に溢れていました。元騎士であったヨハネという人によると、その飼い葉桶の中には、非常に美しい男の子が眠っており、フランシスコが両手で抱き上げる姿を目撃しています。

同上
 ということで、フランシスコは、集められたロバと周りの人たちに向けて、とても美しい声で聖歌を歌ったり説教をしたりしていくのですが、この「イエス」という名前を読み上げるときに、ほんとうに心から湧き上がる熱い思いで感情に溢れていたというふうに記されています。
 
 こちらの写真がその干し草の上に立てられている祭壇になります(画像6)。
画像6 干し草の上の祭壇

飼い葉桶に使用された干し草は、その後保存され、その辺りで色々な病気にかかった動物が、その干し草を食べると病気が回復するという奇跡が起こっています。また難産に苦しんでいる女性が、その干し草の上に乗ると楽に出産できたという話もあります。現在、この飼い葉桶の上に祭壇が築かれ、聖堂が献堂されています。

同上
画像7 グレッチオの聖堂
画像8 幼子イエスと聖フランシスコ
(グレッチオの修道院)
 こちらがグレッチオの聖堂になります(画像7)。このような不思議な出来事が起こったのです。
 フランシスコが亡くなる3年前に初めて馬小屋を再現してそこでフランシスコたちがイエスさまの降誕をお祝いしたというところから、今世界中でこのようなプレゼピオが多く使用されていくことになったということです。グレッチオの修道院の中には、このような模型がありまして、フランシスコが幼子イエスさまを抱きかかえようとしているような、立派な等身大の人形だったのですが、フランシスコの当時の場面を切り取ったような、そういう情景が描かれていました(画像8)。

キリストのように生きる

 アシジの聖フランシスコの生き方の話に戻りますが、さきほどお話ししたように、フランシスコはまさにキリストのように生きるという生き方を自分自身の人生の中心に考えていました。それをとおして彼は自分自身を小さきものとして生きる、謙遜に生きるということを大事にしたのです。フランシスコは元々裕福な家庭に生まれて騎士として戦争にも出征していますし、その意味では若いころはかなりやんちゃをしていますが、回心した後はほんとうに自分自身を小さいものとしていつも生きていたといわれています。
 フランシスコのさまざまな逸話を読むと、修道院の会員と触れ合うときも、常に上から目線で話をするのではなくて、いつも下からというか、相手を尊敬しながら関わっていく姿が描かれています。
 フランシスコは神父になりませんでした。助祭まででした。彼は、神父になるなんておこがましい、という考えで助祭として生涯を全うしています。そして平和の道具として、また、全被造物は私たちの兄弟姉妹なのだという考えで生きていきました。「自然環境保護の聖人」といわれている所以は、まさに神さまが造られたすべての命は私たちの兄弟姉妹、私たちの家族なのだという思いで生きてきたということです。

 この全被造物は私たちの兄弟姉妹であるということがわかる詩をフランシスコは残していますが、被造物の中にフランシスコは神さまの姿を見ていました。日本では八百万の神といって、山の神とか海の神といって自然の中の神さまを表しますから、私たち日本人にとってはフランシスコの考え方はわかりやすいというかしっくりくるなあという感覚があります。フランシスコは太陽も月もすべて神さまが造られたもので私たちの兄弟姉妹なんだと、「兄弟である太陽」とか「姉妹である水よ」と呼びかけるわけです。それはやはり神さまが造られたものの中に神さまの姿をいつも見ていたということではないかと思います。
 フランシスコが残した全被造物に対する歌が「太陽の讃歌」という歌なのですが、この「太陽の讃歌」を皆さんにご紹介する前に、ある詩をご紹介したいと思います。これはフランシスコとは関係ありません。「はちと神さま」というタイトルで、金子みすゞさんの詩です。

はちと神さま    金子みすゞ

はちはお花のなかに
お花はお庭のなかに
お庭は土べいのなかに
土べいは町のなかに
町は日本のなかに
日本は世界のなかに
世界は神さまのなかに
そうして そうして 神さまは
小ちゃなはちのなかに

 これがどのようにして書かれたのかはわかりませんが、私の勝手な想像だと、縁側に座って花に戯れているはちを見ながら、はちがお花につつまれているなあ、そういえばお花はお庭の中にあるよね、とだんだん世界が広がっていく姿をイメージして書いたのだろうと思います。最終的に世界になって、そしてそれを超えた神さまという存在が登場して、そして、金子みすゞさんは思ったと思うのです。でもそのいちばん広がった先がぎゅっと中心に集まってきて、このはちの中に神さまがいらっしゃるんだと。そういう感動を覚えた詩なのではないかなと私は勝手に解釈しています。皆さまはどうでしょう。「神さまは小さなはちのなかに」という思いを皆さまもお持ちになることができるでしょうか。
ゴキブリがいたら、「この中に神さまがいらっしゃる」とはなかなか思えないですよね。コンベンツアル会の支部の幼稚園が東村山にあって、先日そこにお邪魔したのですが、ちょうど幼稚園の先生が「キャーッ」と言ったんです。何かなと思ったらゴキブリがいたらしくて、幼稚園の先生は怖くていやだいやだと言っているところに保護者の方が箒を持ってやってきて、叩くのかなあと思って見ていたら、そーっと外に出していました。「殺しちゃだめなんですよね」と言いながら。やっぱりカトリックの幼稚園などの施設で育った人は命を大切にするという思いを持っているんだなあと思いました。まあ家では叩いているかもしれません(笑)。

「太陽の讃歌」

それでは、アシジの聖フランシスコの「太陽の讃歌」をご紹介したいと思います。
いと高い、全能の、善い主よ、
  賛美と栄光と誉れと、
  すべての祝福は
  あなたのものです。
いと高いお方よ、
  このすべては、あなただけのものです。
  だれも、あなたの御名を
  呼ぶにふさわしくありません。
私の主よ、あなたは称えられますように
  すべての、あなたの造られたものと共に
  太陽は昼であり、
  あなたは太陽で
  私たちを照らされます。
太陽は美しく、
  偉大な光彩を放って輝き、
  いと高いお方よ、
  あなたの似姿を宿しています。
私の主よ、あなたは称えられますように
  姉妹である月と星のために。
  あなたは、月と星を
  天に明るく、貴く、
  美しく創られました。
私の主よ、あなたは称えられますように
  兄弟である風のために。
  また、空気と雲と晴天と
  あらゆる天候のために。
  あなたは、これらによって、
  御自分の造られたものを
  扶け養われます。
私の主よ、あなたは称えられますように
  姉妹である水のために。
  水は、有益で謙遜、
  貴く、純潔です。
私の主よ、あなたは称えられますように
  兄弟である火のために。
  あなたは、火で
  夜を照らされます。
  火は美しく、快活で、
  たくましく、力があります。
私の主よ、あなたは称えられますように
  私たちの姉妹である
  母なる大地のために。
  大地は、私たちを養い、治め、
  さまざまの実と
  色とりどりの草花を生み出します。
私の主よ、あなたは称えられますように
  あなたへの愛のゆえに赦し
  病みと苦難を
  堪え忍ぶ人々のために。
平和な心で堪え忍ぶ人々は、
  幸いです。
  その人たちは、
  いと高いお方よ、あなたから
  栄冠を受けるからです。
私の主よ、あなたは称えられますように
  私たちの姉妹である
肉体の死のために。
  生きている者はだれも
  死から逃れることができません。
大罪のうちに死ぬ者は、
  不幸です。
  あなたの、いと聖なる御旨のうちにいる人々は、
  幸いです。
  第二の死が、その人々を
  そこなうことは、ないからです。
私の主をほめ、称えなさい。
  主に感謝し、
  深くへりくだって、主に仕えなさい。
 人によって訳の違いはあるかもしれませんが、「称えられますように」というフランシスコの思いが込められた「太陽の讃歌」です。この「太陽の讃歌」はフランシスコが亡くなる前に弟子たちに書き記させていたものなので、最後には死を目前にして肉体の死を自分自身の姉妹と呼んでいます。
 フランシスコは、太陽とか水とか月とか星とか、神さまが造られたものをほんとうに美しく見ていたのですが、実はこれを書いていた頃、フランシスコは視力がほとんどなくて、目が見えない状態で書いたともいわれています。フランシスコが、神さまが造られたものをいつも見ていて、そしてそれが神さまの命が注がれている美しいものであるということをずっと大切にイメージしていたのだろうなと想像します。

私たち一人ひとりが神のかたどり 

この「太陽の讃歌」にもあるとおり、フランシスコが自然の中に神さまの姿を見るときに、私たちは創世記のこの言葉に辿り着くのではないかなと思います。
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。男と女に創造された。 (創世記1-27)
 つまり、私たち一人ひとりが神の似姿である。神さまが私たち一人ひとりの中にいらっしゃるということです。神さまはすべての被造物に対して、ほんとうに熱い思いを持って造られています。神さまの考えが実現しているわけです。神さまが望んでおられたからこそ、私たちはこの世に命を授かっているわけです。すべての命ある動物や植物、すべてのものに神さまの思いが込められている。神さまの愛が込められている。そのうちのひとつとして私たち一人ひとりが特に神さまにかたどられているというのは大事なことなのではないかと思います。他の動物にはない、神さまが自分自身に似せた存在として私たちを造ったということは、どれだけ私たちに特別な愛情があったのだろうか、ということです。
 そして、アダムが造られたときに神さまが息吹を送られて生きるものとなったというふうになっていますが、私たち一人ひとりにも、神さまは息吹を注いでおられるのです。特に洗礼を受けられた方で堅信を受けられた方は、まさに聖霊降臨のときに神さまが弟子たちに聖霊を送ってくださったように、私たち一人ひとりにも信仰生活という人生の中において、豊かな息吹を送ってくださっているということをあらためて実感しなければならないのではないかと思います。
 このように、私たち一人ひとりが、神さまの特別な思い(愛)が込められている存在であるいうことです。すべての人の中に神さまの姿を見ていこうというのが、まさに聖フランシスコの思いであるし、私たちがこの待降節を過ごしていくためのひとつのキーワードになってくるのではないかと思います。
 
  ここで一つの短い動画をご紹介したいと思います。あるCMのために、実験的に検証したものをそのまま動画にしたものです。簡単に説明すると、ある一人の少年がとても寒いときにバス停で薄着で座っている姿を目撃したら、あなたならどうしますか、という内容です。「寒さで震えている少年がいたらあなたならどうしますか?」ということで、ほんとうにこういう少年がいたわけではなくて、こういう状況を作ったときにどうするかということを実証実験しているのです。いろんな人たちを実験的に撮っていると、多くの人たちが自分が着ているものをこの少年にかけてやったり、手袋を譲ってやったりしています。そんなふうに困っている男の子のために何かをしてあげる姿がとても感動的に描かれています。もし皆さんがこのような状況に遭遇したとき、自分だったらどうするかなということを想像しながら見ていただければいいのではないかと思います。

 私たちが人に親切にするときには結構勇気がいります。一歩踏み出す勇気というか、話しかけないといけないし、もしそこにトラブルが起こったらどうしようという不安な状況があると思いますが、私たちはキリスト者として、それをどのように神さまは見ておられるかと考えたときに、きっと、救いを求めているその人に私たちが救いの手を差し伸べるチャンスを神さまが与えてくださっている、そしてその目の前にいる、困っている人が、もしかしたら神さまの姿なんじゃないかと、そういうイメージを持つことができるというのは、キリスト者として人と関わるにあたってとても大事な部分なのではないかと思います。

出会いの中におられる神 

さまざまな出会いがあると思いますが、その出会いの一つひとつも、振り返っていただくと「もしかしたらあの人が神さまだったんじゃないかな」みたいな経験・体験があるのではないかと思います。
出会いといっても、私たち一人ひとりが世界中の人と出会うことは難しいですね。一人ひとりが顔を合わせて会話をするというのを一人1秒その人に会ったとしても、現在世界にいる約79億人に対しては200年以上かかるわけです。200年なんてそんなに長く生きるわけではありませんし、こんなふうに大勢の前に出て出会うということはある程度可能かもしれませんが、この世界に生きているすべての人と出会うのは不可能です。
 私たちが生涯の中で出会う人の数は約3万人といわれています。3万人の人にしか私たちは生涯出会うことができないんです。ですから、同じ時代、同じ場所、同じ時間を共有する人というのはほんとうに限られています。しかも教会で出会った同じ信仰を持つ人との出会いというのは、奇跡的な確率の中で起こった出会いであると考えていいのではないかと思います。ですから出会いというのはまさに奇跡なんだと感じます。
 皆さんも人生を振り返った中で、さまざまな出会いがあったと思います。その出会いによって人生を変えられたという人もいるかもしれません。振り返った中で、もしかしたら神さまがその人の姿を借りて、私たちに出会わせてくださったのかもしれませんし、これからいろんな人と出会うと思いますが、その一人ひとりの中に神さまがいらっしゃるんだという思いで関わっていくと、私たちの人生はもっと豊かに、私たちの出会いはもっと豊かなものに変わってゆくのではないかと思います。

私が神父になるきっかけの出会い

私自身は、小学校6年生まで五島列島で過ごして、中学校1年生から神学校に入りましたので、わずか12~13年しか五島では生活しておりませんが、そこで、なぜ私が神父になったかというきっかけになったことのお話を少ししたいと思います。
 それは私が小学校2年生のときでした。家から学校までは5キロくらい離れていて、それを毎日歩いて山道を通ったりしながら通っていました。それは、友達とふたりで石ころを蹴飛ばしながら、その石ころを自分の家まで蹴り続けることができるかというゲームをしながら帰っていく途中でのことでした。そのとき1台の白い普通車が私たちとすれ違ったなあと思ったら、急に止まって、なんだろうと思って振り向いたら車の中からシスターが降りてこられ、「あんたたちは、どこんもんねえ?」(あなたたちはどこの人よ?)と言われたんです。それで「大水」と答えると、シスターは(大水の村は全員大水さんで、全員キリスト信者だということを知っていたんでしょう)、「ああ、そうしたら将来神父さまになるとね」と言ったんです。それに対して、なぜかわかりませんが、私は大きな声で「はい!」と答えたんです。それが運の尽きでした(笑)。
 小学校2年生でのあの出来事があって、自分は将来神父さまになりたいという思いが強くなってきたんです。そうして神学校に上がって今に至り、こうして皆さんの前でお話をさせていただいているのですが、もしあのときシスターに出会わなければ、きっと五島列島で漁師をしながらお酒を飲んでああ疲れたなあと横になっているような人生だったのかなあと思います。2年生のときにシスターに出会って今こうして自分があるんだなあということを考えると、もしかしたらあのときのシスターは、神さまが私に遣わしてくださったのではないかなあと捉えています。今現在そのシスターが誰だったのか、さっぱりわかりません。どなたか全然わかりませんし、長崎のシスターたちに、こういうことがあったんだけれど、そのときのシスターは誰だったでしょうかと訊いても全然わからないんです。そういうこともあって、あの時のシスターは神さまだと自分の中では思っています。

すべての人のなかに神さまを見る

そういう出会いというのは皆さんの人生のなかにもあったんじゃないでしょうか。これからもあるのではないかと思います。なによりも出会ったすべての人のなかに神さまの姿を見ていくことがだいじなのかなと思います。あなたの周りにいる人がキリストなのではないか。
教皇フランシスコも、このように語っています。

「神はイエスを通して、私たちと同じような者となるほど、人間と関わってくださいました。そうであれば、次のことがいえます。私たちが兄弟姉妹にしたことは、神にしたのです。イエスご自身がこのことを思い起こさせてくださいます。人々の中でもっとも小さな者、貧しい者の一人に食べさせ、宿を貸し、見舞い、愛したのは、神の子にしたことなのです」

教皇フランシスコ
このメッセージは、「私の兄弟であるこの最も小さなものの一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」というマタイ福音書25章40節をもとに、教皇様は語ってくださっています。
こういう聖書の箇所になっています。ちょっと長いですけど読みたいと思います。

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたとき食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 そこで、王は、答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」 

マタイ25章31-40節
そのあとにも続きますけれども、教皇フランシスコが語ってくださったメッセージ゙はこの聖書のことばからきています。

最も小さい者とはのうちにイエスさまを見る

先ほどのたとえに登場した人たちはどういう人なのだろうと考えました。
「飢えている人」って、どういう人なのでしょうか。実際に食べ物がなくて困っている人と考えることもできるでしょうが、今、この社会、そして世界に目を向けたときやはり「愛に飢えている」という人たちって多いのではないかと思います。特に子どもたちのなかに、親の愛情を感じられない人、親も子どもに愛情を注げない、というそういう人たちがいるということを考えときに、愛に飢えている人たちはほんとうにたくさんいて、たくさんの人がそのために苦しんでいるのではないかなと思いますね。私たちは、そのように、愛に飢えているという人たちにどのようなかかわりをもつことができるでしょうか。

次に「渇いている」というのは、喉が渇くということですが、それだけでなく、やはり「心が渇いている」という人たちもたくさんいらっしゃいます。たくさんの苦しい状況のなかで自分自身がどうしていいかわからない。自分が何をしたいのかもわからない。どうなりたいのかもわからない。ほんとに右も左もわからない。目の前お先真っ暗みたいな状況のなかでほんとうに追いこまれている人がたくさんいると思うのですね。コロナ禍の中でいろいろな仕事を制限され、仕事を失った人たちもいらっしゃいますし、または、逆にそのためにすごく時間を割かなければならないような、忙しくなった人たちもいるわけですね。そういうことが続いていくと、やはり、心にゆとりをもつことができなくて「心が渇いてしまっている状態」になっているのではないかなと思います。

「旅をする」……つまり旅をすると疲れますよね、ですから「身も心も疲れている」状態の人たちのことを指しているのではないかと思います。じっさい、私自身も、関西のほうの学校とまだ関係があるので、そこの理事長をしているものですから、毎月1回ぐらいそちらに通っているのですが、ほんとに自分が今どこにいるんだっけ、何をしているんだっけと、わからなくなるほど行ったり来たりすることがあります。そうなると、身も心も疲れてしまう。すると、どうなるかというと、まず、人とかかわりたくなくなるんですね。面倒くさいというか。人と話をするのもいやだということもあります。いちばんだめだなと思うのは、祈りたくなくなることです。祈りの時間も休みたいという気持ちになってしまう。そういう状態は、私だけでなく、多くの人も感じるのではないかと思います。人生の旅をしている私たちは、ときに身も心も疲れてしまう状態にあるのではないかなと思います。

「裸」のときということばが出てきました。「裸」とは、着るものがない状態、つまり「頼れる人がいない孤独な状態」と考えてよいのではないかと思います。私の田舎では感じることはなかったことですが、やはり都会にくると、お隣さんのこともよくわからない、だれが引っ越してきたとか、引っ越したということもわからない。ほんとうに孤独な状態で過ごしているということをニュースとかで見ることが多くなりました。いちばん小さな赤ちゃんを育てているお母さん世代だと、近くに親もいない、頼れる人もいない、そういったときに、目の前にいる子どもがわんわん泣いてどうすることもできなくてノイローゼになってしまうという話はよく聞きますね。そのように、だれも頼れる人がいない、そのような孤独な状態にいる人に対して、私たちは、どのようにかかわっていくことができるでしょうか。

そして、「病気」のとき、「病気」というのは、外面の病気だけではありませんよね、内面にも病を抱える人はたくさんいらっしゃいます。ほんとうにストレスの多い社会にあって、もう、それを打ち明けることもできない状態で苦しんでいる人もいらっしゃいますね。もちろん心療内科にもかかれる人もいらっしゃいますが、それもできない、自分自身の心の病をかかえながら生活している人も数多くいらっしゃいます。そのような人たちのことを指しているのではないかな、と思います。

そして、最後に「牢」にいる人、すなわち、自分の考えに縛られている人のことを指しているのではないかなと思います。
今、新しい教育のなかで、子どもたちに教えるにあたっての「協働性」というものがあります。みんなそれぞれもっているいいものがあるので、それを集めながらよりよい社会をつくっていくための教育を行うというのが、今の教育の内容になっています。ですので、子どもたちは、自分の特技があったり、不得意な部分があったりするのだけれど、周りの人と助け合いながら、その中で自分自身を出していきましょう、とか、自分の意見を主張するだけでなく、相手の話をよく聞きましょうということから発表形式の授業スタイルが増えてきています。そうすると、自分の考えをわぁっと言うと、周りの人がひいてしまうということがある――そういうことを子どもたちは経験しながら、「じゃあ、もうちょっと言い方を変えたらいいのかな」とか、「自分の意見を抑えて、相手に合わせてみようかな」ということを授業の中で体験していく。そういうなか、まさに自分の考えに縛られている、自己主張が強すぎるために周りのひととうまくいかないという人もたくさんいるのではないかなと思います。

つまり、イエスさまが言われている「最も小さい者」とは、愛に飢えていたり、心が飢えていたり、身も心も疲れていて、頼れる人もいない孤独な状態にあって、外面だけでなく内面も病を抱えていて、自分の考えに縛られている人たち――そういう人たちが、イエスさまの時代の人だけでなく、今の私たちが生きる時代に大勢いるということです。もしかして、私たちもそのひとりかもしれません。その小さい者のなかにイエス・キリストを見つけていくということを、私たちは大切にしなくてはならないのではないかと思います。

私たちの中にもイエスさまがいる

そして、私たちの中にもイエスさまがいらっしゃるということを実感していきましょう。
それはまさにご聖体拝領の中で、イエスさまが私たちの中に来てくださる、いらっしゃる、お越しくださるということ―――コロナのことがあってほんとにミサが公開できなくて、(再開されたとき)久しぶりに聖体をいただいたときの感動をもう一回思い出していくということはほんとうにだいじだと思いますね。
イエスさまが私たちの中にいらっしゃる、私たちと一緒にいてくださる、その強い思いというか、その感覚はとても大事なことだと思います。私たちの心も体も強くしてくれるのではないかなと思います。

そして、まさに、この待降節は、その幼子イエスさまをお迎えするための期間になっています。では、そのイエスさまをお迎えするために、私たちがどのような気持ちでお迎えしたらよいのかなと考えたときに、「人のいのちも、ものも、両手でいただきなさい」というシスター渡辺和子さんのことばを思い出しました。
最後にご紹介したいと思います。

心をこめて、毎日をていねいに生きる

相田みつおさんが、「現代版禅問答」と題して、書いていらっしゃいます。
 「ほとけさまの教えとはなんですか?」
 ゆうびん屋さんが困らないようにね
 手紙のあて名をわかりやすく 正確に書くことだよ
 「なんだ、そんなあたりまえのことですか」
 そうだよ、そのあたりまえのことを
 こころをこめて実行してゆくことだよ
 この、「あたりまえのこと」、時には「つまらないこと」を、
 心をこめて実行することの大切さが、最近、忘れられています。
そして、この実行こそが、人を美しくするのです。                    

〈中略〉

そんな中で、私は最近、一つの言葉に出会いました。

 「人のいのちも、ものも、両手でいただきなさい」

卒業証書や賞状をいただく時、私たちは両手でいただきます。赤ちゃんを抱く時も、両手で抱き上げるでしょう。そこには、“ていねいさ”があります。スピード、合理性を重んじる世の中で、私たちは自分や他人のいのち、ものを“ぞんざい”に扱うようになってきてはいないでしょうか。両手でいただく心が失われ、“片手で”いのちと接し、ものを受け渡しするのに馴れてしまったようです。

渡辺和子著『面倒だから、しよう』より
渡辺和子さんの本から拝借させていただきましたけれども、「人のいのちも、ものも、両手でいただきなさい」……私たちもご聖体を両手でいただきますよね。その感覚をつねにだいじにするということは、この待降節を過ごす一つのヒントになるのではないかなと思います。フランシスコがすべての人の命の中、すべての生き物の中に、すべてのいのちの中に神さまの姿を見たように、私たちも隣にいる人、周りの人、家族、友人、もしかしたら嫌いな人、嫌な上司の中にも神さまの姿を見ていくことがだいじだと思います。そして、その人たちとかかわるときになによりも、“ていねいさ”が大切です。両手でものをいただくように、その人とのかかわりをていねいに過ごしていくこと、それが、まさにイエスさまをお迎えする私たちの心の準備につながっていくのではないでしょうか。
最後に、マザー・テレサのことばをもって終わりたいと思います。

クリスマスの日

 私たちは
 か弱く、貧しく、

幼い乳飲み子としてのイエス様を見ます。
彼は、愛し、愛されるために来られました。
私たちは今日の世界で、どのようにして
イエス様を愛することができるのでしょうか?
私の夫に、私の妻に、
私の子どもたちに、
私の兄弟や姉妹に、
私の周りの人たちに、
そして貧しい人たちの中におられるイエス様を、
愛することによってできるのです。
さあ、ベツレヘムの
貧しい飼い葉桶の周りに集いましょう。
そして、私たちが日々出会う
すべての人の中におられるイエス様を
愛することを固く決心しましょう。

マザー・テレサ
ということで、皆さんどうぞ、このような気持ちで待降節を過ごして、よりよい主のご降誕をお迎えいただければと思います。
           
                                 (2021年11月28日 関町教会聖堂)