2024年12月29日
聖家族 ルカ2:41~52

「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」

 毎年、クリスマスを祝った直後の日曜日には「聖家族」の祝日が祝われます。「幼子」として誕生したイエス様が「家族」の中で成長されたことは、私たち人類にとって大切な意味があります。いつの時代にあっても、どんな文化においても「家族」を大切にすることなしに人間の社会は成り立たないということなのです。さて、今日のミサの第1朗読 預言者サムエルの誕生と福音朗読には深いつながりが感じられます。少年サムエルは育って行き、主にも人々にも愛されたこと、やがてサムエルは主のことばの1つさえも地に落とさなかったと言われる偉大な預言者となります(Ⅰサムエル記3:19~21)。ルカはこのサムエルの生涯とイエス様の生涯を重ねて見せているように思います。

 しかし、ルカは福音書においての最初のイエス様のことばとして不思議なことばを記しています。3日間、母であるマリア様、ヨゼフ様の目の前から姿が見えなかったという出来事の後で語った「わたしが父の家にいることは当然なことです」というイエス様のことばは、やがて実現する「受難の神秘」、「十字架という道を通しての復活」を暗示するものです。この出来事が過越祭の時であったこと、両親にはこのことばの意味がわからなかったこと、それは、墓で天使たちがイエス様の復活について婦人たちに告げた時、婦人たちにはそのことばの意味がわからなかったことなどを思い出させます。

 これらすべてはやがてこのエルサレムで起こる出来事なのです。当時のイスラエルでは13歳で大人の仲間入りと考えられていましたから、12歳という幼年期の最後にイエス様がすでにご自分の使命が何であるかを知っておられたという事実が明らかにされるのです。と同時に、すでに神の子、メシアとしての使命を理解しておられるイエス様は、「両親とともにナザレに下り、二人に仕えていた」と記されています。イエス様は人の子として両親とともに過ごし、人間として成長する道を歩まれたのです。ナザレでの30年の生活は、神様ご自身が、人間とともに暮らすことによって人間の営みを味わい、理解するために、それほどの時間をかけて、人生ということの重み、苦しみ、喜びに大きな意味を与えられたと言っても良いと思います。そして福音朗読の結びのことばは印象的です。「こうして、イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とにますます愛された」のです。神と人とに愛されることにより、神と人とを愛する人に成長するのです。

【祈り・わかちあいのヒント】
*私たちは神と人とに愛されていますか? 愛されるために何が必要でしょうか。