「主のお母さまがわたしのところに来て下さるとは!」
待降節第4主日にはいよいよ「イエス様の誕生」が告知されます。イエス様の誕生は、まず大天使ガブリエルがナザレのおとめマリア様に遣わされた時に、神のみ旨として、神の望みとして語られます。そして今日の福音では、マリア様と同じく神様のいつくしみによって母となったエリサベトの口から「イエス様の誕生」が語られます。エリサベトの姿には旧約時代のアブラハムの妻サラの姿が重なります。事実、エリサベトから生まれる洗礼者ヨハネは旧約の最後の預言者と呼ばれることもあります。
2人の母の出会いは感動的です。2人とも人間の力ではなく神様のいつくしみによって母となり、旧約の終焉と新約の始まりという救いの壮大なドラマが、この2人の幼な子の誕生によって始まるのです。ラファエロをはじめとするルネッサンス時代の画家たちが聖母子とともに幼い洗礼者ヨハネを描いている作品は皆さんにもおなじみのことと思います。
神様の救いの計画が幼な子たちを通して始まってゆくということは、なんと不思議なことでしょう! 神様は宇宙万物を無からお創りになる力をお持ちなのに、人間の救いのためには幼な子という道を選ばれたのです。それは、私たち人間の生命、人生、死にいたるまですべてが「神の深いあわれみといつくしみ」のみわざであることを示すためでした。神の御子が私たちと同じように「人間の姿」となられたのは、私たち一人ひとりが人間として誕生し、人生を歩み、死によって完成されるすべての道のりの中に神様の心配りがあることを示していると思います。そしてそれは母の胎内で躍ったヨハネのように、必ず、そのことに気がつき受け入れることの出来ることなのだというメッセージなのです。
そのためには、エリサベトが言っているように「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じる」ことが大切なのです。私たちも聖母マリア様と同じように神様のことばを頂いているのですから、マリア様のように受け入れることが出来て、また信じることが出来る人は、マリア様と同じように幸いな人として生きられるのです。但し、マリア様が受けた恵みはこの世的な物質や富、名声ではなく、「神様への絶対的信頼であり、神様との親しさ」でした。神の子の母となること以上に神様と親しくなる道はあり得ないのです。それはあの十字架の下においても変わることはありませんでした。
【祈り・わかちあいのヒント】
*マリア様のように「神様と親しくなる」ために、どのようにしたらよいと思いますか?