復活節の最後の主日は、先週に引き続きヨハネ14章から福音が朗読されます。最後の晩餐の席上で語られたイエス様のことばは、やがて聖霊降臨において実現する大いなる出来事を予告する内容となっています。「あなたがたがわたしを愛し、わたしの掟を守るならば」という条件で、イエス様は3つのことを約束しておられます。第1には「弁護者=真理の霊」がともにいること。第2にはイエス様ご自身がわたしたちの内にいること。第3には「わたしの父はその人を愛し、父とわたしはその人のところに行き、ともに住む」と、父なるお方がわたしたちとともにおられることが約束されるのです(23節)。
イエス様は「聖母マリアに宿られ、人となること」により、世にご自分の存在を示されましたが、復活によって「信じる人の内に」、すなわちイエス様のことばを信じ、守り、生き、その教えを愛する人の内にイエス様は現存することを約束して下さいました。「しばらくすると世はわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る」(19節a)と語り、続いて「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」(19節b)とイエス・キリストとわたしたちの間には生命的な絆があることを宣言されているのです。このことは15章の「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」というたとえにおいて再び生き生きとした表現で語られ、深められるのです。
復活されたイエス様に出会いたいのならば、21節がその道を示してくれています。「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す」と語られているのです。すなわち、聖母マリアが神のことば=神様の意志を受け入れたように、わたしたちがイエス様のことばを受け入れ、それに生きるならば、マリア様の胎内にイエス様が宿られたようにイエス様はわたしたちとともにおり、その姿、現存を現されるのです。なんと大きな恵み、なんと大きな救い、希望でしょうか! 最後の晩餐の席で、イエス様がこんなに大きな恵みの約束を与えて下さっていますが、弟子たちにはまだわかりません。そのことを弟子たちに示す「真理の霊」が来られるまで、そのことを理解することは出来ません。しかし、弟子たちはイエス様が語られたことばは忘れていません。
【祈り・わかちあいのヒント】
*忘れてはならない「イエス様のことば」は何でしょう?
*これだけは「信じています」と言えるイエス様の教えは何でしょう?