四旬節も早くも第4主日を迎えることとなりました。今日の福音はヨハネ3章のニコデモとの対話です。その次の日曜日にはヨハネ12章の「一粒の麦」について語られてゆきます。この2つの日曜日の福音は密接な関係があるのです。
さて、ヨハネ3章に登場するニコデモという人物についてまず考えてみましょう。この人はユダヤの最高議会サンヘドリンのメンバーであり元老の一人でした。さらには映画「ベン・ハー」の中で主人公のパトロンとなる人物のモデルで、大変な資産家でした。ある学者の研究によれば、ニコデモの財産は当時のユダヤ人の全人口を6ヶ月間養うことのできるほどのものであったと言われています。つまり彼は絶大な権力と財力を持つ有力者だったのです。誰もが彼を尊敬し、彼のように成功者になりたいとあこがれる人物だったのです。
彼はひそかにイエス様のもとを訪ねます。「この方はメシアではないか?」という期待と疑問が彼の中にあったからです。ニコデモは自分自身の目でそれを確かめようとやって来たのです。これまでも多くの人物がメシアを名乗り、イスラエルの解放すなわちローマの支配からの独立とイスラエルの繁栄を広言し人々を扇動する者がいたからです。しかし、彼らは政治的な野心家であったり過激なテロリストに過ぎなかったりで、すぐにそれらのメッキははがれ、滅んでゆきました。しかし、「ナザレのイエス」はどうもそれらの胡乱な人物とは違うという気持ちがニコデモを突き動かしたのです。
「ナザレのイエス」は元老院のメンバーである自分が訪ねて来ても驚きもせず、おもねることも媚を売ることもねだることもしません。ニコデモを神の前には「無力な一人の人間」として受け入れています。「人は新たに生まれなければ永遠の命に入れない」と語るのです。ニコデモは、ユダヤ人の律法的な考え方によれば、神の祝福を受けている人であり、必ず救われる人でした。イエス様はこの世での権力や財力は何の保証にもならないことを告げられます。
イエス様の行おうとする革命は剣や政治、富によるものではありません。暴力や破壊、権力闘争のようなやり方ではありません。神の子が人の子としての生き方を徹底的に示すというやり方です。それゆえに「人の子は(十字架に)上げられなければならない」のです。
【祈り・わかちあいのヒント】
*あなたがイエス様に尋ねてみたいことはどのようなことですか?