2024年1月7日
主の公現  マタイ2:1~12

 主イエス・キリストがお生まれになった夜、最初に救い主にお会いする大きな恵みを戴いたのは、ベツレヘムの野原にいた羊飼いたちでした。彼らはイスラエルを代表する人々となります。王や貴族、学者や身分の高い人たち、金持ちではなく、イエス様と同じく家ではなく、荒れ野に暮らしている人々、貧しい暮らしをしているこの羊飼いたちが一番目にイスラエルの救い主となるお方と出会うことは神様らしいなさり方です。この幼子はやがてイスラエルを導く牧者となる方です。マタイ福音書はミカ預言書の一節を引用して語ります。「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」(ミカ5:2)

 この預言のことばは、今度は東方からやって来た3人の博士を幼子イエス様に引き合わせる手がかりとなります。星に導かれ、聖書のことばによってイエス様と出会うことが出来るのです。この3人の博士の礼拝の様子を描いた絵画を見ますと、アジア・アフリカ・ヨーロッパの3大大陸の代表者として描かれたり、青年・壮年・老年という人生の3世代を表す姿で描かれたりしています。いずれにせよ、イエス様はイスラエルという唯一つの民族のための救い主としてではなく、「万民の救い主」としてこの世に来られたお方であるということがこの3人の来訪と礼拝によって示されるのです。このエピソードを伝えているのはマタイ福音書だけです。そこに博士の人数は記されていませんが、黄金・乳香・没薬を捧げたため3人とされています。この3つの贈り物はそれぞれキリストの王権(黄金)、キリストの神性(乳香:神殿で焚かれる香)、キリストの死・葬り(没薬)を象徴するシンボルとされています。

 さらに伝説によれば、東方(ペルシャあたり)の星占い(天文学者)の博士たちは不思議な星を発見しました。その星には王冠を被った赤ちゃんを膝に抱いた一人の少女の姿があったのです。博士たちはヌッド山に登り、3つの宝を掘り出しました。黄金・乳香・没薬でした。これらはアダムとイブが埋めたもので、アダムは息子のセツに「やがて、一つの特別な星が出現したら、この宝を掘り出して救い主のところに届けるように」と遺言したのです。この遺言がセツの死後も連綿と語り伝えられ、その時を迎えたというわけです。この3人の博士の遺体はコンスタンティヌス大帝の母へレナ皇太后によって発見され、ミラノの司教、聖エストルジョに与えられましたが、1162年赤髭王フリードリッヒ1世がミラノを攻め、これを持ち帰り、やがてケルンの大聖堂に納められ、今日にいたるとされています。

 全世界の全時代のすべての人にイエスは救い主であると宣べ伝えられるその第一歩は、「星」を見て旅を始めた3人の博士でした。わたしたちも「かすかな手がかり=星」をさがしてキリストに出会う旅に出かけましょう。